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俺の記録庫

631考える名無しさん:2017/09/17(日) 15:49:37 ID:ZZVKU.B.0
海外美大で鍛えられるのは、「来週までに意味のあるテーマを発表」みたいな無茶ぶり対処能力。

結局のところ、題材なんて「なんでも」よくて、「意味」の側が抽象的な概念世界に実在している(真理として在る)ので、そこにある「意味への」論述展開を行えば良いだけ。全部即興で。でっち上げで。

俺にとってのアートとは、それ程までに簡単なもの、であるのだが、
現代の現役アート人間の作品を見て全く感動しないのは、
まあ、「神秘体験世界の真似事止まりな作風」というのもあるが、もっとエッセイ執筆と同じに扱うと、「その作品で何を主張したいのか全然はっきりしない」のが理由だろう。

「退屈な作品を作るアーティスト」のほうが俺よりも「アートの理解」に優れている、と考えることもできる。

でも、なんか違うんだよな。
俺は教官や教授側と同じ側に立って、本質についての話が通じる。

教官陣と(観客のように切り離されて)向かい合って立つ生徒達が、生徒間で熱狂している。

この現象について学部長と話したときに、学部長が「生徒はソーセージ工場で焼かれるソーセージみたいなものだ」と俺に答えたことは、違うふうに前に話に挙げた。

この辺の話になると、再度、脳科学者の茂木氏の視点と興味の水準が同調してくることになる。
その同調から現代の最先端を見ると、

アート分野において、この21世紀の現代は、かなり特殊な時期にある。
芸術が科学と融合するポイントであるから、なわけだが、

この時点において、芸術的訓練を受けたことのない「科学者」が、なんの下地もないまま、単に科学研究を進めるだけで「アーティスト」と呼ばれる現象が発生している。

この現象について、
長い期間、アート・デザイン側の内側に居た人は、嘗て、このような「外側で融合する」形ではなく「内側から分裂する」現象を見てきた。
「アーティスト」になるか「プログラマ」になるかのどちらかだけしか選択できないという分裂する社会状況を。

今回の「科学者というアーティスト現象」と違うのは、
分裂していく「プログラマ」達は、一応、芸術の訓練を受けた人達だ。
なので、芸術の下地がある。

今回の現象の科学者達は、
芸術の下地を持った人達が作品発表・品評時に展開する論理・アイデア・ビジョンの部分を共通項として持っている。


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