[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
俺の記録庫
61
:
考える名無しさん
:2017/07/29(土) 00:28:01 ID:UzDke0GE0
時代・世代によって、人間を支配する「感情の種類」の傾向が変化するのでは?
という話を最初にしていた。
「怒りの時代ではなくなった」みたいなことがある、と。そういう意味ではセカイ系は終わる。
しかし、そこまでわかると、その言及は、余りにも、予防線を張りすぎな言葉であると感じる。
人間の持つ感情の種類から「怒り」が抹消されることはないのにも関わらず、「怒りは終わった」と世間を信じ込ませる行為には、どの様な「良心」と「愛」が含まれているのだろうか?
全く、愛のない言葉である。
その様なことを言う「人間」を、お気に入りの「物質」よりも好ましく思えるだろうか?
その「愛のない言葉」を放った人間の目線を解説すると、
その人間が好ましく思う「近しい人達」=「物質」を大切にするために放たれた言葉だからこそ、その当人に対する「物質」外である我々「赤の他人」の人達への愛が皆無な状態で言葉が伝わっている。こういう構造になっている。
語っている最中に、自分の意識を割り込ませて一言加えるが、
「怒り」によってブーストして、こう普段の数倍以上の脳処理力で思考と言葉が進むのは、俺としてもあんまり嬉しくない。
誰が怒りを喜べるか?怒れて嬉しい人なんていない。別属性の感情なわけだから、怒れて楽しいはずもない。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板