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俺の記録庫

61考える名無しさん:2017/07/29(土) 00:28:01 ID:UzDke0GE0
時代・世代によって、人間を支配する「感情の種類」の傾向が変化するのでは?

という話を最初にしていた。
「怒りの時代ではなくなった」みたいなことがある、と。そういう意味ではセカイ系は終わる。
しかし、そこまでわかると、その言及は、余りにも、予防線を張りすぎな言葉であると感じる。

人間の持つ感情の種類から「怒り」が抹消されることはないのにも関わらず、「怒りは終わった」と世間を信じ込ませる行為には、どの様な「良心」と「愛」が含まれているのだろうか?
全く、愛のない言葉である。

その様なことを言う「人間」を、お気に入りの「物質」よりも好ましく思えるだろうか?

その「愛のない言葉」を放った人間の目線を解説すると、
その人間が好ましく思う「近しい人達」=「物質」を大切にするために放たれた言葉だからこそ、その当人に対する「物質」外である我々「赤の他人」の人達への愛が皆無な状態で言葉が伝わっている。こういう構造になっている。

語っている最中に、自分の意識を割り込ませて一言加えるが、
「怒り」によってブーストして、こう普段の数倍以上の脳処理力で思考と言葉が進むのは、俺としてもあんまり嬉しくない。
誰が怒りを喜べるか?怒れて嬉しい人なんていない。別属性の感情なわけだから、怒れて楽しいはずもない。


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