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俺の記録庫
533
:
考える名無しさん
:2017/09/12(火) 11:55:40 ID:rEx8GiNY0
「有意味空間のインターバル」とでも名付けておくことのできる「認知における法則」があると思う。
(これは説明した後に「童貞力」への応用、という方向にも発展できることを述べる、と思う)
俺の主観からの説明にしよう。
「なぜ芸術は俺にとって退屈なのか」
やはり「興味対象」には「それなりの刺激と、既知に加算される情報量」を求めるので、
「神秘体験」が割と日常的であると、現実側から神秘体験直前の近似値に収束する「芸術家の試み」というものが、刺激的ではなくなる。それはもう、昼飯のカレーライスの味よりも薄い刺激として、物足りない。
一応、誰もが同じ現実を共有している、という幻想を現実として採用し、それを「現実」と呼ぶことにする。
【神秘体験世界】【芸術世界】【現実】と並んでいる。
現実は皆が属している。
ここで神秘体験を得ていると、「芸術世界」の空間が「神秘体験に近づきたいのはわかるけど、到達できていない。それの真似事のような地点で、人々が感銘を受けている。これには賛同できない」というような空間に感じ取れる。
【神秘体験世界】(芸術空間)【現実】と有意味空間が一個飛ばしになる。
「有意味空間のインターバル」を法則化するのは、この「芸術が無意味」である観点を説明するわけではない。
一方の、「芸術が有意味」である人達の現実感が、
【芸術空間】(現実)【X】
もしくは
【芸術空間】(X)【現実】
である可能性を仮定し、相手の視点を理解するためである。
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