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俺の記録庫
471
:
考える名無しさん
:2017/09/09(土) 09:02:41 ID:EZoAuYak0
リツイートについて。
むしろ、こういう「廊下を歩いている間、視界に入った生徒全員に注意していく教頭先生みたいな人」は、
小さい頃からのクラシックの楽器の個人レッスンで演奏姿勢を無理やり矯正される形で叩き込まれた「教育の被害者」である可能性も高い。
被害者が加害者になるという循環。
クラシックギターのセゴヴィア(奏者)は、前代未聞の爪弾きで、いわゆる教育者達の大顰蹙を買いながらも、時流としてギターをクラシック界の楽器に認めさせるという功績をあげた人であるのだが、
クラシック派閥の奏法における厳しさは、遡れば機能主義的に最高効率を求めた結果であるのだけど、
「規則を守らせること」を仕事とする、創造性や発展性から切り離されたロボットみたいな頭の硬いクラシック教育者が沢山存在している。
それらに関する批判は去年沢山書いた末に、自分の固定ツイートを「ミスタッチを恐れるな」の本のアマゾンページにしてあるのだけれど、
クラシックは元々権威主義的で、序列みたいなのを気にする社会であり、同じ楽器の1st, 2nd, 3rdの間にも上下関係が存在するという、ヨーロッパのイデオロギーの厄介なところを抱えた分野であり、
「現代芸術」が先端でその(格差)問題の解決に勤しんでいる間、
後方、即ち、初学者や幼児にその学問(クラシック)を教育する場面において、その教育者達は、基礎までを教育することだけを本分としているので、
その融通の利かない型に嵌めた指導法、指図、評価を、その受講者である一般市民達にまき散らしている。
この人達の存在が「エラー」である、と言うために、俺は「独学」を推奨している。
独学だけで何かが成せるわけじゃない。
だけど、意味もわからず権威の犬の元に習いに行くのは、変な新興宗教に入会するのと同じくらいに「将来の方向性」をねじ曲げる行為である、と思う。
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