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俺の記録庫
4426
:
考える名無しさん
:2018/12/26(水) 16:20:22 ID:cdj7oMsM0
音楽だけの人、それと、鍵盤しか弾かない人、というのは、そのこれからの未来の形へリードしていく上で、主役から外れるかな、という読みがあるのだけど、
それについてはまずは置いておき、
立体音、VR、イデアへの接近。
楽譜には、立体的な音像については「行間」に無言でしか指定されない問題。
置いておいた部分についての、先に書く概要。
別の用語でうろ覚えしていたのだが、その語で検索しても見つからないので、代用できる用語を拾ってきて(結果、複雑になるが)、それを用いて述べる。
同じ用語ではないのだが、「認知特性」というものがある。
画像引用元
cogniscale.jp/characteristic…
同じサイトからもう一つ引用。
ガードナーの理論の分類。
この分類のは、俺が美大のデザイン学部に入ったときに学年全員にテストされて、その中の2人だけの「音楽的知能」であったのを憶えているが、
まず、俺は音楽的知能ではないだろうとの撤回を経て次に。
画像引用元
cogniscale.jp/characteristic…
最後に、目当ての分類に来るわけだが、これの資料が見つからない。
催眠術で被験者の特性の分類に使われたりしたはずだが、
・視覚優位
・聴覚優位
・体感優位
この3つに分かれるものであり、上記の2つの分類とは、似ていて少し違う。
確か、「リードセンス」みたいな語呂の呼び名があったはずだが、
例えば俺が、美術と音楽を、「全く」同じ刺激として、「完全に」同列に扱っている、この状態は何なのか?
を紐解くと、
俺は「体感優位」なのだと思う。
物や道具のフィット感とか、もの凄く気にする。
液タブに視差があるだけで吐き気がして、そこから先の作業ができない。
触覚の統制下にある。
視覚情報、聴覚情報を処理するわけだが、
その処理の過程で「体感的」なフィット感みたいなのが必ず審査される。
この審査を通過しないと、その視覚・聴覚情報は許容されない。
美術に美的価値を与えているのは「視覚優位」の体質による入出力ではなく、
音楽に、〜〃〜「聴覚優位」〜〃〜ではなく、
結論を言い控えたまま次へ進むが、
時代の感性がVRを求める方向にあり、そう進んでいる。
同時に、イデア的な、即ち、抽象的な「完璧なそれ自体」を、具体的に「弄くり回して動き回る視点」を取りたがる方向にある。
音は聞く場所が異なれば、違う音に聞こえる。でも「その音」はイデアとして在る。
イデアとして在る「その音」は、音の立体的な指定を言葉で示さない「伝統的な楽譜」で問題ないと思う。
しかし、時代が求めているのは、この現実空間に実際に発生する、「色んな方向から聞ける音」だ。
ライブ音楽というのが昔からその特性を持っているのだが、そもそもライブ音楽は聴覚より体感だ。
美術分野での「イデアへの傾向」の良例はアニメーションの流行だろう。
アニメの流行はどうでもよくて、アニメーションの本質が重要。
アニメーションの本質は、被写体を一枚絵で描写するのではなく、複数枚の絵で描写する点にある。
複数枚の一枚一枚はぼやけた感じであり、ぱっとしない。
時代として、
人々は、「それ」に「最も近いもの」を求めることから遠ざかり、「それ」自体を「(掴めなくても)確かに通過するもの」を求める傾向にある。
その「余韻」(求めるという行為に付随する行動・営み)として、
その「掴めはしないけど通過するもの」にいつまでも触れていたい
そう動く。
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