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俺の記録庫
4406
:
考える名無しさん
:2018/12/25(火) 00:01:10 ID:U/B5TuwI0
>たとえば神経系のどこかの部分が損傷をうけたとすると、それによって一定の行動が不可能になるのではなくて、むしろ生体の構造のなかでこれを知ってこれを補う水準があらわれてくる、そのように考えられる
このメルロ・ポンティの思考展開だが、
画像引用元
1000ya.isis.ne.jp/0123.html
俺はこれは、生体、そして己という存在の「本質の一側面」でしかないと思う。
その損傷箇所が代替部位により機能が継承されるという現象を目撃できる「視点」は、損傷を受けておらず、また、その視点が損傷を受けた場合、別の生体の構造部分がその役割を取って代わって己の意識に与えてくれはしない。
つまり、
トカゲの尻尾みたいに再生可能な部位として脳を見做すことはできない。
現実的物質的なところで、絶対的な序列がそこに存在している。
そこをあえて念頭に入れず(その序列に縛られないまま)、その後語られる「意識と身体」の関係性を描くことは、
既にひとつの"精神世界"への突入である。
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