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俺の記録庫

4346考える名無しさん:2018/12/19(水) 12:55:18 ID:U/B5TuwI0
理想的な国家とは、それを唱える者が国民であるのなら、
痛覚が国民にまで行き届いている身体をした国家だろう。

定義を条件文で作りたくはなかったが、これでも情報量の最小化を行った末の形だ。(思考したのは1秒だけだが)

痛覚ということは神経の通り方であり、国家の大小ではないということ。

国家の話は、本旨の導入に過ぎないのだが、
国民を血肉とする国家が、どの様にその血肉まで神経を巡らせるのか。
そして、どのように、神経を巡らせることに失敗しているのか。

国家とは、いわば、身体における脳の部分であり、制御のための情報が出入りする箇所だ。
国家に全体の情報が入ってくる。

国家に身体全体の情報が入ってくる。
そして国家は情報を分析し、必要な箇所へ、割ける余力を分配する。

この一連の動作の中に、既に「問題となる穴」が存在するのだが、それが「全体」と認識させる「もの」である。

現代において、脳に「これが全貌です」と認識の根拠を示すもの、それが「統計学的手法」だろう。

新実在論のマルクス・ガブリエルが「存在はある。しかし、世界がない」と言う。
その世界とは、ひとまず「現実世界」を第一に想定できる。

人々にとっての現実的に「一番広い世界」が現実世界だ。

しかし、人々は、「現実世界」よりも「狭い世界」の中に生きている。

先入観が作り上げる「デフォルメされた世界」がそれにあたる。(hi-fiに対してlo-fiと言うほど均等に粗荒化*していない。)
*動詞が存在しないので造語。

その「デフォルメされた世界」の全体を確定的に申告する「物」が統計だ。

統計とは、「ものさし」そのものとしての機能が強い。
しかし、強すぎるので、それを扱う者は、その機能について考えない。

「男性は強くあるべきで、女性は弱い」
過去の統計学的手法の提示した全体・全貌がこの認識を作った。
現代は、その「ものさし」を壊すのに反差別の人々が勤しんでいる。

1,2,3 と数があった。-1、-2、-3 もあった。
整数である。

整数を整数たらしめるものは「整数だけを認識した統計学的視点」である。

数学者ガウスは、この「統計学的視点」が支配する世界が朽ちるのを待ってから、「虚数」を含めた「数」を、人々の「狭い世界」の「ものさし」として組み込んだ。

話の主旨はとても簡単で、

「目に見えないものを見えてないまま世界を管理している存在が、常に批判の的であり、悩みの種である」
(しかし、その存在が表だって問題視・批判されることはない)
ということだ。
(括弧部分)はメタ主旨だ。

と、ここまで。

睡眠から起きる瞬間に頭にあったことをまとめて書いた。


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