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俺の記録庫
4245
:
考える名無しさん
:2018/12/09(日) 13:43:46 ID:U/B5TuwI0
(人々の心の)「痛みの根元」(に言及すること)を避けて楽しいことだけ語らいあって人生を楽しもう。
これが一般人が、動物というかロボット的に自動的に取るフォーメーションだが、
(心の)傷口に触らないようにする。
傷口に埃を被せて厚い膜を作り、多少のことでは動じない自己を作る。
寝て起きて、1発目思ったことが、「背中と腕が痛い」
俺の身体の"傷口"(触れると異常が全身に響き始めるポイント)が、開いている。
比喩表現だが、どこまでイメージとして理解されるのか、全くわからないし全く何も期待していない。
さて、辰巳天中殺と戍亥天中殺。
同じ画像引用をもう一度。"精神世界"が欠ける辰巳天中殺。 pic.twitter.com/RiPUQQcrz5
同じ画像引用をもう一度。"現実"が欠ける戍亥天中殺。 pic.twitter.com/uS6esGgO3y
ネット上での俺の活動は、戍亥天中殺の人の現実の在り方に近い。
持病などの痛みで行動できないからこその出力の形なので、
そういうエネルギーの使い方だと、「何」が膨らむのか、
それは戍亥天中殺の画像引用部分に書かれている。
行動が制限されると、精神性を高める様に、エネルギーは巡る。
皆が同じ問題を、同じ形で共有しているわけではない。
その「問題の多様性、多面性」を示すために、具体例として辰巳と戍亥という2つのタイプを比較しながら、あたかもそれらがひとりの人間の性質であるかのような前提で、解説している。
辰巳天中殺の俺は、今、病気や痛みによって行動できないがために、思考活動がメインとなり、
その思考活動が自然と向く先の「学問」は、お金にならない、それを行うためにお金が必要である、
ということを見分け、エネルギーの使い方を考え直す必要性を強く自覚した。
戍亥天中殺の人は、思考活動、それが自然と向かう学問、の中に生き続ける運命にある。
「現実においては」、その思考活動とは全く無関係なバイトや仕事をしながら、その仕事中は心ここにあらずな感じで、思考活動の方へ戻ってくるところに"リアル"を感じて、
そういう風に生涯を過ごす。
最低ラインでの人生のモデル化なので、実際にはもう少し現実と生きがいが混ざり合った形で折り合いを付けられるように落ち着くことも十分考えられるが、
しっかりとしたコントラストを付けて示したかった差異は、その「とても似ているが、とても異なる」部分として、文章で描けていると思う。
更に別のサイトからの画像引用だが、(引用されている以外にもう2つあるのだが、未だ焦点は辰巳と戍亥の2つ)
今、世界を2分する見方をするために、辰巳と戍亥の軸を使っている。
画像引用元
tensatsu.com/tentyusatsu-3.…
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