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俺の記録庫
4243
:
考える名無しさん
:2018/12/09(日) 06:32:22 ID:U/B5TuwI0
やはり、自殺があるとしたら、それは生きている者への「突き放し」の力だと思うんだな。
今、俺が仮に自殺をすると決意する理由を探したとしても、「俺という知的な人材に貢献されない空間に永遠に隔離されていろ」という意志だし、
[己が][つらいから][死ぬ]
という論理は、存在しないと思う。
この世の社会は、死ぬ者達に見捨てられ、突き放されている。
残された生者達は、それはもう、助ける価値のないような存在だらけだろう。
オンライン糞ゲーのユーザーがどんどんログアウトどころか課金契約を解除して去って行っている状態。
その糞ゲー空間に残ってる廃人ゲーマーは、既にどこか病的で、むしろ辞めていく人達から声をかけられることもなく、糞ゲー空間内に取り残された形となっている。
現実の地球上の生の話。
俺も、持病の痛みが治らないのなら、ログアウトしてしまいたい。
抱えるハンデ自体の苦痛もさながら、そのハンデによって弱者となる分の「ゲームにおける負け判定」として課せられる更なる「負けたことに対する罪滅ぼしの刑務」に人生が圧迫されるだけで、生きている意味がない。
「現実というゲーム」の敗者に、「負けたことに対する償い」を支払わせる仕組みが存在する。
字面で見て、論理的におかしいと誰もが気づくはずなのだが、この形でずっとゲーム(地球人類の文明・社会)が続行している。
この論理が正当化されるケースが1つだけある。
ゲームが賭け事の場合だ。
人類の社会競争は、賭け事として発生している。
つまり、誰もが、最初に己の命を掛け金としてテーブルの上に置いて、そこから、その後に生きることが許されている。
反差別や多様性を、個別事例から訴え続けても、この論理の中枢を批判しない限り、ゲームの盤面自体が変わることはない。
戦争の論理、と一言で言えるのかもしれないが、その一言に纏わり付いている先入観を必要としないので、回りくどくなった。
敗戦国が償う。それは戦争開始がベット開始で、国の財産を掛け金としてテーブルに置いてからゲームを始めているわけだ。
その形で、個々の市民達の命が、社会に扱われている。
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