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俺の記録庫
4179
:
考える名無しさん
:2018/12/06(木) 14:16:03 ID:U/B5TuwI0
持病の激痛100%という事態は減ってきたが、背中・肩・右腕裏側が痺れる痛み、即ち椎間板ヘルニアの症状みたいなのが代わりに慢性的に発生するようになり、
そこに持病の20%の痛みがトッピングされるような複合型になり、
良くなってるのか悪くなってるのかわからない。
故障中であることは変わりなし。
これだけ長いこと持病で苦しんで、治る兆しもなく、更なる症状が追加されてくる流れを感じることから、
この自分の人生のまとめ方を客観的に描き、更新する必要がある。
この人生の要点は、「理論値通りに身体を使えない」これに尽きるわけで、持ち前の性能を発揮できないまま、どう社会と関わるか。
それ程性能の高くない人間達が社会の丘の上であぐらをかいているのを眺める形で、
身体が痛い、痛みが意識を乱す、澄んだ集中力が得られないから力を結晶化できない、
効率から見て、自分という存在を廃棄処分したほうが循環を促進する。
そういう意味で自分は死ぬべきだと思うことはよくあるが、
同時に、身体を万全な状態で活用できない存在を廃棄処分することを肯定するのならば、
死後の社会は、更に過酷なものとなる。健康な個体以外は存命が許されない社会。
そこで、身体に痛みを抱えながらも何かを成して、故障した身体を持つ人達の権利を向上させる必要があるのではないかという考えも。
国が、原因不明の身体の異常に理解を示さないのならば、その節を明示できる形で犠牲となり、しっかりと無念の死を遂げ、問題点として歴史に刻む必要がある。
自分の命の確保の道筋で、前例も理解も得られない未開の道を開拓する運命にあるのは苦痛と頭痛の種でしかない。
俺個人は、無理解者へ理解させる努力などすることなく離別して絶縁したい人なのだけれど、
今後、俺と同じような境遇として生まれてくる人達が、この無理解な社会で同じように苦しむことを考えると、
その他者のために、今の俺を、無理解な社会や国へ理解させる必要が出てくるか、という辺りを悩む。
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