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俺の記録庫
4090
:
考える名無しさん
:2018/11/28(水) 21:41:36 ID:U/B5TuwI0
まず、最初のRTにRTされていた建築物の建築家について調べたところから。
その建物の形状は確かにスケボー向きだな、1階の地面と斜面の隙間がゴミが溜まりそうで気になるな、など思いながらwikipediaで調べる。
女子大家政学科から美術教育なしで凄いな、等と最初の印象を持つ。
最初の印象を得た後に、第二の印象を捉える。
なんとも輝かしい受賞歴の数。
作品も、こう、分野のブツがブツなので、具体的に列挙できる爽快さが際立つ。
この時点で、先日論じたカールマルクスの人生と功績を超えている感がとてつもなくする。
圧倒される。
画像引用元
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%B9…
その功績と「社会のアチーブメントをアンロックした数」に圧倒され、瞬間的に戦意喪失させられる。
先日の記事の「区分」の「再現性」も備わって、社会の権威からいくつもの「形のある」名誉を与えられている。自己との比較の前に、マルクスとの比較でマルクスに勝っていそうな社会認証度にやられる。
実際問題として、マルクスの方が、目に見えない形で、賞などといった象徴に支えられない形で、次元を超えて偉大であるわけだけれども。
そのアクチュアルな影響力は認識した上で、
我々のいる現代社会という現実上における(現実上の加点データ値による)「凄さ」というものを認識して、怖じ気づく。
心に生まれた蟠りは、放置してはおけないタチである。
その建築家の様な大出世と社会的地位に対しての、ある種の羨ましさと悔しさと、同時に、違う種類の人生を歩んでいるな感を覚える。
その内的な感触・感情を解析して、その根源を探し求める。
俺は、個人的に、凄い人のお金・名誉・名声・地位を羨ましがる。
才能や能力を羨ましがることは、殆ど無い。
必ずと言って良いほどに、地位や名誉だ。
地位や名誉を、社会というこの現実の神が定め与える、人間としての立派さの絶対的尺度として感じ取っているところがあるのかもしれない。
では、逆に、そのような立派な建築家と比較して、自らの生き方や重ねた努力に落ち度や不十分と言える点があったのか?と自分に問う。
社会に出てから病気にならずにやっていけてるのは凄い、などの表面的な思いは表出するものの、自分が生きた形に、どんな立派な人よりも劣った歩みはしていない、と。
その辺りで気づく。
「自分が全力で本気でやりたい」と思えることが、現存既存の分野や土俵のどこにもない。
"立派な人"がマルクスを超える功績を連ねることができる理由は、その人がやろうとしたことの分野や土俵が社会に既に存在しているからだ、と。未開拓分野へ進んでいるのではないからだ、と。
ここで、3つめのセミフム氏のRTの一文に重なる。
>おれの作品ほんとうにいろんなジャンルから外れてきたナ、強いていうなら自由研究だな
これを感じるときの年齢などは関係ない。10年20年、おそらく50年100年経っても、この苦悩と葛藤は、未開の境界線近くに立つ人全てが感じること。不名誉と共に。
というような心の動きが、TL上のツイートから生まれたので、それを書き綴ってみた、という感じ。
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