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俺の記録庫
4086
:
考える名無しさん
:2018/11/28(水) 02:09:39 ID:U/B5TuwI0
美術の展示の様な形で、実験音楽が展示される、そんな在り方は肯定されるべきなのか。
音楽というのは、「観客を独り占めしたがる」ようにできている。
あえて詩的に表現したが、複数の音楽を同時に鳴らすと雑音にしかならない。
なら、実験音楽の「手法」の展覧会なら肯定できるか?
「観客を独り占めしたがる」の音楽は、その性質故に、1曲ごと展示していく、という時間枠でリネアなスケジュールをどうしても必要とする。
一方、スマホでiTunesで音楽を聴く、これに見られる体験は、そのリネアな時間的拘束を乗り越えるような方向に抜け出そうとする志向性を持っている。
少し論述の途中をすっ飛ばして先の方だけ語ると、
maxを用いた音楽(の挙動)制作が、本格的に実用性を持ち始めるのは、
(先日はVRは廃れる/トレンドに乗った研究者は路頭に迷うと言ったが)VR技術が進歩して、音楽視聴における「時間枠でのリネアな制約」が無くなったとき、であると思う。
maxは、「映像と音の融合」・・・が売り、というか、それをするためのものかもしれないが、
maxがやはりmaxでなければならない意義の部分は「操作に対してインタラクティブ」である点であり、
現状では、そのインタラクティビティはライブイベントなどでしか活用できない感じだが、
現状では、そのインタラクティビティはライブイベントなどでしか活用できない感じだが、
VR技術の確立、またARで現実に視聴覚情報を付加して表示する日常となったときに、
人が取るアクションに対して相対的に存在する音+αとして、
まあ、言うなれば、ゲームでの操作に付随する効果音だよな
例えば、
「気分が上がったのでスマホでiTunesで誰々の曲を聴いた」
この一文が示しているのは、
楽曲が、その人間の気分や動作に対して連動して発動する「効果音」みたいなものであり、
コンサート会場でその曲を聴く、という在り方ではない。
どこかへ出向いて視聴する
この行為と反する向きだ。
しかし、美術の展示や音楽のコンサートは、そのいわば前時代的な体験"形式"に則ったものであり、
生まれながら性に合った人は、その形式に順応するかもしれないが、時代として、その形式に従うことには足労、抵抗感が生じる。
この部分を、未来に向けて、どう解決していくか。
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