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俺の記録庫

4060考える名無しさん:2018/11/24(土) 19:38:05 ID:U/B5TuwI0
90年代、ゼロ年代のアンドロイド(人型ロボット)の物語は、
読者の視点を棚上げすることにより人間自体を客観視しながら、痴呆老人の取り扱いの問題点を話の要所に置いているという感じか。

老人ホーム等では、痴呆老人観察・分析は多く行われているだろうけど、視点のせいか、社会に還元されてない

概念的な厳密性から攻めていくと、

>別題: アバター化した痴呆老人。

ロボット化した痴呆老人、では駄目なのか?
NPC化した痴呆老人、では駄目なのか?

という疑問を、まず発生させないといけない。
ここを素通りしていたら、若くても痴呆老人と変わらない状態にあるかもしれない。

そこに触れる前に、

人間の世の中、というのが、
ゾンビだらけ、NPCだらけ、

というのが、実は、「当たり前」なのかもしれない、

という逆転的に現実を捉え直す必要性すらあるような気がする。

痴呆老人を医学的に取り扱っても、「痴呆老人の社会的な影響」は、全く解決されない。

例えば、「オレオレ詐欺」防止案を、医学的に生み出すことはできない。

この辺りの問題。

ボケ老人の話別にして、「単一分野の専門家の世界」だけじゃ、「現実世界」の問題解決に不十分なことになっている。

どう書こう。

「痴呆老人」という「暴走済みロボット」という存在の状態がある。

暴走ロボットが社会へ及ぼす影響を軽減・防止することに従事する人たちに、「どんな情報」を伝え、たえず更新していくべきか。

「人はロボットなのか」
という問題を考える人たちは、上記の従事者達ではない。

そうやって、「ひとつの問題」が、いろんな分野の問題となり、バラバラになっていく。

そのバラバラになっていく問題を「ひとつの問題である」と認識し続ける全分野の監督みたいな立場の人間が常に存在してなければ、当初の問題は永遠に解決されることがない。

人類は、そのように「忘れ去られた当初の問題」を毎度置き去りにしたまま、歴史を歩んでいる。

つまり、進歩していない。

まず、概要として書いているので、話の焦点が細部から俯瞰視点まで、と大きく動いている。

この行為は不必要か?

この行為こそが「己が痴呆老人ではないが故に行えること」である可能性が高い。
このあとあらゆる細部に個々に話を分けて展開していけるが、
痴呆老人の座標に近づいていくことになる。

「痴呆老人にはできない頭の使い方」を認識することなく、
例えば、人工知能を作ったりとかする場合、

うーん、知性というか、「魂までを考慮に入れた知的生命体の本質」を欠いているままだろうなあ、と思わざるを得ない。

できあがる人工知能が痴呆老人である可能性も高い。

社会的な視点に戻すと、
老人ホームなど、または各家庭など、痴呆老人を観察できる場所で、人々が自主的に能動的に、鋭い分析を重ねる必要性がある、と思う。

これを怠ると、その観察側の人間が痴呆老人化している、とさえいえる流れにあると思う。
人類は、歴史的に、ここの壁をまだ越えられてない。

社会的な、ボケ老人攻略のための一歩として、

あえて、ボケ老人を完全に模倣した人工知能を作り、人型ロボットに実装し、社会の人々に、子供のうちからそのロボットと討論で対決させ、その「どうしようもなさ」を、健常者側が知識と経験として培っていく--痴呆老人に崩壊させられる未来を防ぐために。


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