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俺の記録庫

4005考える名無しさん:2018/11/16(金) 11:25:02 ID:.6MsOvns0
先日の俺の弟の件、事の発端は「親父と連絡が取れない」という緊急の可能性を孕んだ件への対応の中で発生したもので、その経緯もあって親父と母親(家族全員別々に暮らしている)の意見を聞いたところ、弟について

父「人生経験が足りないんだろうなあ」
母「まだ子供なんだよ。甘えてるんでしょ」

俺の弟は俺の1歳下。
この歳にもなって、子供扱い。

弟のその物言いとスタンスは、匿名掲示板の無責任な発言者と同質。

つまり、そのネット上の屑共が、リアル環境において、どの様な立場に居るのかが、俺の実際のケースを手がかりに、掴み取れそうな気配である。

「家庭内のみそっかす」

俺の持病については
みそっかすな俺の弟の物の見方が世間一般にそういう屑な、根元では精神論と努力信仰(但し、本人は努力していない)を主柱とした世界観で、自己のぬるま湯な環境を守るためだけに、他者のことを、そんな自己よりも苦労してない怠け者と批判して自己を保守する
この種への対策が必要

社会の中で、
俺の弟みたいな態度で、俺の持病を俺の自業自得として見做してそこに発生する不利益を俺に賠償させようとする屑も沢山居るので、

そいつらのことを、スマートに処理する方法を考えておく必要がある。

既知の彼らの特徴は、
彼らは無知を根拠に大きく出て頭が悪いので、理屈が通らない。

同様に、頭の悪い人間が仕切っている空間というのは、
これまでの俺の記述を踏まえると、
精神論を根底に持ち、努力している姿を評価し、知っている世界が狭く独善的となり、それ以外のことについては頭が悪いので理解できない。

歴史に見られるように往々にして、処刑されることにより代替わりする。

過去から続けている「努力と才能」の対立の議論において、
俺が大きく才能の側を重視しているのは、

俺の弟のように「才能がない故に(努力する才能も無い)、努力している姿を"実績"と見做す」
という、論理構造・価値観 を一切認めないためだ。

次に、この論理構造を詳しく見る。

>才能がない故に(努力する才能も無い)、努力している姿を"実績"と見做す

才能がない自覚がある。
努力する才能もないのに、なぜ努力する姿を評価するのか?

これが最初に浮かぶ疑問だ。

答えは、
才能がない=努力している

「才能を持たない者は、それだけで努力している」という自覚がある。

この場合、努力という語を苦労と置き換えるとわかりやすい。

常に彼らは、才能を持つ者を僻んで生きているわけだ。
才能を持っていない生を生きること自体が苦労である、というような恨み節が染みついている。

弟の言葉を例に解説すると、
「お前(俺)の持病が本当に深刻なら、入院してるはずだろ」

「お前(俺)の持病が本当に深刻なら、入院してるはずだろ」

この辺りに、ブラック企業に見られる頭の悪さ=記号的な質(ここでは入院という記号)の有無でしか物事を判断できない、という思考力の低さが見られる。

「入院」が「深刻さ」を立証する「ステータス」と見做されている。

書きながら、メタ(地の文)を挟むと、

これらのことを、実際に弟に話しても、全く、ま っ た く、まったく全くまったく全くまったく全くまったく全くまったく全くまったく全くまったく全くまったく全くまったく全くまったく全く 理解されない。

俺としては本当に動物の相手をしている面持ち。

だから俺は、世間一般に対しても、
IQの分布からしても、弟みたいな個体の方が確実に多いわけで、
わかるように書いても理解されない。
知能の話を別としても、知見の狭さから理解するに充分な判断材料を持っていないため理解されない。

ということを心得ているので、俺の言葉はいつも投げっぱなし。


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