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俺の記録庫
3873
:
考える名無しさん
:2018/10/26(金) 21:10:17 ID:.6MsOvns0
俺は病気ではなく別のことを書きたいと思っていた。
ソシャゲとかで釣りをやらされたりする。釣った魚が60cmの鮭だとか82cmの鮭だとかで一喜一憂している。
でも、この魚達、この場合はガチャの瞬間に世界に発生したユニーク個体というのでなく、予め、魚種と大きさごとの個体リストから引き抜き。
データベース上で番号管理された「釣れる魚」に、当たる「確率」が与えられていて(様々な方法で)、
確率が低い魚を当てると「しめた。レアだ。機嫌が良い」とユーザーは反応するわけだが、
「確率」が主体となっているその世界で、確率の名目を妄想で補っている。
この妄想は現実未満の次元のもの。
一転して現実。現実上でレアなものとの遭遇は、レアではないものとの遭遇とそう大差ない。
一期一会として、遭遇したものが何であれ、そこに「自分とそれ」の関係が生まれるからである。
「関係」というものをどう解釈するかだが、
何であれ遭遇したものが自分にとって特別になる
これ以外は未定。
ユーザーが妄想により補完するイメージ、という部分で、
確率主体世界における名目の妄想とは異なる次元の現実感・臨場感を、その一期一会の遭遇物は持っている。
コペンハーゲン解釈(確率主体世界)に対する、他の解釈のどれかまたは未知のものを、先に感覚的に描く、という方向性かもしれない。
最初の導入の魚に戻ると、
データベースから確率で引っ張り出された「80cm鮭(レア)」を、「レアだ」と喜んでいる心の体積みたいなのは、
現実上で非レアなものと遭遇して「これが私のものになるのか」としんみり眺める心の体積より次元が低く、感情の幅も奥行きも薄っぺらい。
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