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俺の記録庫

3760考える名無しさん:2018/10/18(木) 06:52:25 ID:.6MsOvns0
RTについて。TLを眺めていて、ツイートの主旨とは別に、その算数の問題自体について思ったことがあったのでRT。

小学校段階ではなぜ「方程式」の使用を禁止するのだろうかな?と考えていた。

同時に、方程式を使う場合の脳の使われ方と、使わない場合の使われ方の違いについても。

方程式は、目前に示された関係性を式で表わすことが主旨であるので、
やっていることとしては美術のデッサンに近く、
映画ビューティフルマインド(統合失調症の数学者が、妄想に追われながらも、社会の人々を眺めることから、新たな法則を思いつき発表するという人生を描いた映画)の思考力であり、

問題文に図が無いとき、パッと見た目で目に付く数字は21と3。
何だか良くわからないけど、この2つの数字を関わらせることしか許されてなさそうだから21-3。
出てきた18を2で割って答え。
問題には正解したが、与えられた数字で事務作業を行っただけで、何を理解したのかわからないまま。

ここで、「関係性と現実世界を結びつける力」が育まれずに、「出されたものを許された方法で転がす力」だけが伸ばされる。

時間は小学校から高校辺りへ飛ぶ。

方程式を使える状況になったのに、まだ問題文の中で事務作業を行っているだけな脳の使い方、な人が沢山いる。そんな人が研究職に就いたりと

2x+3=21

と目前の様子をスケッチをし、
いや、一気に抽象化しすぎかな、と
Aの持ち分=y
Bの持ち分=z
y+z=21
y=z-3
これらをパーツに組み立てれば、

というのを、ならば方程式習い始めで厳重にやるべきだと思うな。
計算自体は簡単だからと、哲学的な理解を"この時点で学ぶべきもの"から除外せずに。

「状態を式で表わす」という行為を「吟味する」
という吟味の部分が、
美術でも音楽でも芸術の作品を作っている人が、「(思い描いているイメージは)こんな感じかな」と形にしたところで、一歩下がって眺めてみて、「さて、どうだろう。思惑通りかな、ずれてるかな」と考える。
という部分。

「関係性を正しく把握できていて、尚且つ、関係性を淀みなく表現できているか」
という「判断を行う」脳の活動の段階は、

学問分野に限らず普遍的であると思う。
そしてその力は、
まずこの力自体をひとつの存在として認識し、言い表わしている人が少ないので、これを学べる場所は現状無いに等しい。

話の冒頭に戻ると、
小学校段階で方程式の使用を禁止するのならば、
方程式を解禁する中学校で、
くだらん計算問題を機械的に解かせることに時間を浪費せずに、その意義や用法をじっくりと、現実世界を関わり合わせながら、教えるべきじゃないのかね、と思う。

学びは、紙の上の文字と鉛筆があるところに発生しているのではなく、自分の目に見えている現実世界を文字で書き表すところに発生している。

というようなことを、歴史に名が残るような学者は言ったりもすると思うが、人々はその言葉の重みを理解することなくスルーして、紙面の文字と格闘し出す。


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