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俺の記録庫
3710
:
考える名無しさん
:2018/10/12(金) 04:58:37 ID:.6MsOvns0
どの様な臨場感を想像すべきか、というと、
作品制作の課題の最後にはcritique(講評)があるのだが、その講評、日本のものは知らないが北米のそれは、作品を展示、作品のプレゼン、その後、圧迫面接的な質疑応答がある。
自分以外の全員が自分の作品を批判し、疑問点を問い質してくる。
「なぜ、その部分を描いたのか?」
と聞かれて、明白な理由が即答できなければ、そこまで考え抜いて作られた作品ではない、という、いわゆる「努力不足」の印象を全員に与えてしまう。
「今、これが流行ってるから」
「このノリで行くと人気出るから」
これ系の返答は、社会的な死に直結する。
ということは、
「内輪で盛り上がってるネタを作品にする」
なんていう行為も、なんと言うべきか、入学基準に達していない水準の意識と見做される。
盗作は1発で退学だが、自分以外の全員が審査員という環境の中で、公共性を考慮しない意識では生存できない。
そういう背景を知った上で俺は、日本の漫画絵・アニメ絵的なものについて、国際的な論壇で提出できるような制作意図や制作必要性を探求している。
必要性に「エロを大真面目に理性的に取り扱う」などの「物の見方」も含まれる。
「作品の必然性」自体が存在権であり存在価値であることは、イデア的。
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