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俺の記録庫

371考える名無しさん:2017/09/02(土) 01:49:53 ID:yJtkCNNc0
色々観察してまわっているのだが、

絵を1枚見せてもらうと、「凄いな」と思う。
2枚見せてもらうと、「なるほど」と思う。
10枚見せてもらうと、「手癖で描いているわけか」と思う。

別に手癖が悪いという話ではなく、
毎度の作業時の脳内状況を内側から把握する目的で。

手癖(+得意フレーズ(ポーズ))を増やすことで、より多くの作業を滞りなく進めることができるようになる。
反面、作風の変更、などという根本からの調整には、対応しづらくなっていく。

最終的には「これが自分の絵柄だ」と、自ら完結する姿勢を取ることになる。
この状態を人は一人前と呼ぶ。

手癖という積木を積んで建てられた城は、思考することと産みの苦しみを最大限に減少させる。
そこに残るのは、「せわしなく手を動かして作業している自分」だ。

これを手打ちそば屋にたとえると、その手癖を採用する決断が正当なものに感じられる。
食べてもらうための美味しい品質を手癖化する。


先日リンクを貼ったジャズ指揮者に対するブログ記事に「ジャズは逸脱することを迫られる」というようなことが書いてあった。
「必ず」(コードトーン以外の音でアウトするなり)型から外れなければいけない、という姿勢。

これは、芸術の姿勢と一致する。毎度自分の過去を超えなければいけない。

この「常に新しいことを行うことが義務」の姿勢と、「手癖で毎回変わらぬ美味しい味」の姿勢が相反する。

そもそも後者は最初から芸術を志しておらず、同人活動を目的としている。
例えば両者とも「絵」を「品」として持っていたとしても、それぞれ全然成り立ち方が違う。

「突破」でカウントが1加算される前者と、「販売」でカウントが1加算される後者。

この数字を上げるために「品」である「絵」を変形させていくのだが、その方法が、前者が「考案」、後者が「手癖化」だ。

普通は「手癖化」のほうが馴染みがある側なのかもしれない。
俺が個人的に、長いことそのサイクルに嵌まらないように生きてきたせいで、手癖化の側を新鮮に描いてしまう。

英語圏で使う英語の署名も、毎回失敗せずに書けるか不確かな難しい形状のものを作り、署名の度に失敗しないか緊張していた。

結果としては一度も成功しない=毎回署名が少し異なる、という、「最近の人工知能のアルゴリズムを備えた、演奏する度に和音進行が異なる楽曲」みたいなことになっていた。

最近はその署名は封印しているのだが、手癖化を執拗に恐れるのだろうか。

若者も早々に手癖マンになって、早々に人生終了させてしまっているではないか。
何を恐れることがある?

「若いのに老けてるな」と若者に思うことはとても頻繁にある。

しかし、それが「生きる」ということなのかもしれない。

彼らは小動物のように、生後6ヶ月で交尾して数年で死んでいく。


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