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俺の記録庫

3655考える名無しさん:2018/10/05(金) 21:31:24 ID:.6MsOvns0
「無知」を克服すると「無力」になる。
「知ること」は、「死ぬこと」に安らぎを見つけるように、なっている。
タナトスは、あらゆる「欲」から己を解放する。

エロースは、個という存在に己を留める。
「生命維持」は、「欲」という姿で己を焦らすように、なっている。
故の「受苦」が「生きる力」。


飯食っている間に、考えていたことを忘れないように、詩の形でメモしておく。

食べ終わっても憶えていられた。
2点ある。

まず、描写の対比の中にアガペー(神からの無償の愛)が登場していない、ということがひとつ。
アガペーの層は個を超越した空間なので、与えるほうも受け取るほうも、個という存在単位での「出し入れ」は無い。個を単位とするのが生物が足掻く層。

もうひとつが、
言葉や風景や考えや作品が訴えることを、
読み手が「本当に辛い状況」になって初めて「メッセージが伝わった!」と感慨に耽る「人生の一場面」が普遍的に存在していると思う。

この「特定シチュエーション」にのみ「伝達が成功する」事象自体が、様相論理の発展型の何らかであるはず。

「メッセージの伝達の成功」により「わかった!」という感触が発生するかしないかは、あくまで真偽(T/F)の2値であるのだけれど、その「真偽判定自体が発生する」空間に「入り込めるかどうか」

これが、現実上で、モーダルなロジックの世界を行き来するうえで、人が「技術」として必要な物の見方。

現実上で、というところが、既に
>その「真偽判定自体が発生する」空間に「入り込めるかどうか」
の関門となっている。

科学者は、往々にして、現実生活は現実生活、思考は思考、と世界を2つに分断している二元論的な世界観を根底に持っているわけだが、モードはその2つの橋渡しになるはず。


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