したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

俺の記録庫

3580考える名無しさん:2018/09/25(火) 16:39:58 ID:T0TPKGwo0
まず、事象の例としての日本におけるラップ音楽の繁栄の仕方について。
各分野各業界、日本が文化を形成するその瞬間と所々で起きている「問題となる判断・取捨選択」の描写がとても良くできていると思います。
異文化を輸入する際に、それを読解する目の解像度が低く、変にデフォルメした形で輸入。

その変な輸入の仕方は、具体的には、
目が解析解像度不足のために、デフォルメする箇所の優先度を考慮に入れないまま認識対象を単純化。
もう一方が、対象の技術的な側面だけを切り離し、その技術だけを日本が元々持っている文化へ適用(例は、盆踊りのラップ化等)。
常に対象の本質を欠いている。

その様な「ユニークな劣化コピー」により海外文化・学問を国内に取り入れた結果、
その劣化コピーに方向性を与えた「ユニークさ」を好む「日本人」「一般人」という不特定多数の「人格」が生まれているようであり、
この「人格」と気が合わない、趣味が異なる人は、「日本が合わない」と思わされる。

不特定多数、集団として1個の「日本人」にその様な固有の「人格」が備わっており、
例えば、「円安路線」「五輪大歓迎」「時代に合わせた人権(差別意識)斬新は興味ない」など、社会的な議論でどうにかなるふうではなく、政権による独裁、というよりは「日本の人格」による独裁な感じがあるように思う。

"好みと方向性"
twitter.com/VoiceOnFate/st…
「疎通の失敗」が意味するところは、
「人にされたら嫌なことを、人にするな」「人にしてもらいたいことを、人に行え」
この原則通りに行動すると、相手(異国人)側が満足する結果にならない。場合によっては、その行いが、一層に双方の距離を作ってしまう。

"好みと方向性"
単純に記すために日本人側を描写するが、
日本人がやってほしいこと、やられると嫌なこと、という価値観が固有であり独特であり、異文化との互換性がない。

どの様にこの価値観は形成されるのか。
個性のない状態で身内や友人、目上の人達と触れることで感化されて染められていく。

つまり、
生まれてから「主体性」を獲得することを阻害されたまま育てられている、ということが没個性化した画一性を形成するし、集団意識的な日本人人格を野放しにしておくことにも繋がると思う。

日本人がカレーが美味しい、というのも、「このカレーは美味しい」と教え込まれたから、だと思う。

その様な日本人が持つ"好みと方向性"
少数の権力者が大衆を利用して実現する様な固有の意志を除いた、個々の大衆が持つ(それでも日本人人格としての)"好みと方向性"は、

先述の食糧自給率の低さも含み環境(気候・温度湿度)が心の狭さと「通る声」の周波数(出川みたいなダミ声が日本語の特徴)を

を形成していると推測している。

歴史(文脈)というのは、これはとても不思議な感じで、日本の過去も、やはり輸入によって発展しており、歴史を重んじるとは、その劣化コピーを現状追認するということになり、自国の歴史に批判的ではない知性・精神は、異文化輸入についての意見すら持つ段階にない。

話が途中だが、随分と長くなったので、まずはこれを返信とさせて頂きます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板