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俺の記録庫
3565
:
考える名無しさん
:2018/09/24(月) 09:33:55 ID:T0TPKGwo0
日本人、その国民的人格の
みみっちさ、せこさ、愛想笑い、粉飾好き、隠蔽好き、剽窃好き、人真似で横に倣えの没個性化、重箱の隅をつつく割りには問題解決能力に欠ける伸びのない感じ、
これらは、国民個人に限らず役所・企業・学者・政治家共通の質と思うが、
その根拠は、食糧自給率にあると思う
比喩。
「7種の野菜のサラダ」を買ってみた。
赤や黄の色つき野菜のスライスが表面上に2つずつ。
下の方はキャベツが敷き詰められているだけ。
7種と言いながら、制作工程は「2種」+「僅かな5種を規定個数トッピング」という形になる。
そうなる理由は、使用野菜、原材料に金が掛かるから。
同じ「7種のサラダ」を
「7つの野菜を等分量ごと入れて、混ぜる」
という工程で作成する別の国がある。
人が人として生きていくうえで無意識的に備える世界観や余裕というものが随分と変わる。
「食に困らない」というのは食べるに困るかだけでなく、その用意にチャチな工夫を加える必要もない状態。
その土地に、適した人格、というものがある。
経済的に(economicalに)ちまちま事務的にやりくりする人格が根付く土地、というのがある。
それが食糧自給率の低い、日本みたいな場所なんだろうな、という理解を得てきている。
日本の金持ち(成金)は、育ちが貧乏なら、やはり同じくちまちま。
そこで、
土地が勝つのか個が勝つのか、という問題が生まれる。
環境がちまちまを要求するのだから、我はちまちまを自然と感じ、むしろ我がちまちまである
となってしまう「一般人」の意志薄弱さは、この一行で明白だろう。
一般人は「水」みたいな存在だからそれで良いのだが、
ならば「よい(性質の)水」の場に居たい、と思うわけだ。
そう思う我は、環境の媒体としての存在ではなく、独自の、いうなればコンフォートゾーンを持っていると言える。
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