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俺の記録庫

3544考える名無しさん:2018/09/17(月) 02:08:29 ID:T0TPKGwo0
「では、我々は、先祖魂プレイヤーが編成するカードでしか有り得ないのか?」

カード自体(我々)が意識を持ち、与えられた存在意義を懐疑し反発している場面である。

「家系の流れ」から抜け出す方法は2つある。
ひとつは「古典」から人類の流れを汲み取る。俺はギリシア哲学からの流れを獲得。

もうひとつは「時事的知識と問題」を追っかけ続けて、「その時代の社会の歯車になる」というもの。

どの動画か忘れたが、苫米地氏の動画の中で、
古典などを「小さな知識」?、時代の動向の関わる飛び交ってる情報を「大きな知識」?
(〜な知識の〜部分は忘れた)と定義していたのを憶えている。

だから、例えば、芸術において、(ビジネス抜きで)、
研究を進めていく方向性というより志向性、そしてそのアプローチの仕方というのも、

古典からくみ取った人類の、人類に与えられた知性と問題を継承してその先を導くものと、
現代のトレンドのシーンを調査するという極めて社会的なものに分かれる

カードとしての我々の、探求の方向性が変わる、とはどういうことなのか。

我々カードの持ち主が変更される、カードが売りに出される、という状態だろう。

キリスト教などに本気で入信する、というのは、自分というカードの持ち主をその宗教の(イデオロギー)志向性に組み込む、ということになる。

これらの理解が何の役に立つのか?

実際に、人に会うときに、いわゆる「霊視」ができるようになる。
その相手がどの「流れ」にいる存在なのかがわかるようになる。

半ば、コールドリーディングでもあるし、半ば、目に見えない部分を総合的に全体像として、視覚以外のイメージ領域で概念的に掴む。

なんのための霊視なのか?

人捌きのため、だろうな。
要らない人を捌けていくため。
違う流れや魂の階層に生きている人達と、無意味に干渉し合うと、本当に意味のないカルマ(因縁関係)が作られ後を引くし、
更に抽象的に言えば、
あらゆる面で手間を省くため。


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