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俺の記録庫

3543考える名無しさん:2018/09/16(日) 23:46:32 ID:T0TPKGwo0
十数年前に、母親の勤めていた病院の看護婦の知り合いという、神奈川県に住んでいる沖縄の霊能者ユタの人に、一度母親と一緒に見てもらったことがあるのだけど、
様々なことが言われた中で、今回焦点を当てるのは、「母方の先祖が、もう子孫を残したくない、と言っている」というもの。

一転して、現代。話は続いている。
最近のソシャゲ・ブラウザゲーを多数やり込んでその実態を調査しているわけだが、
典型的カードバトルでマラソン型のゲームではないものは、
「キャラで編成を組んで、キャラがバトルで「自動で」戦っているのを眺めているだけ」
というのが多い。自分は見てるだけ。

小学生の頃、ファミコンのゲームで「ブリーダー」というものがあった。動画参照。
当時、このゲームを手に入れ、「なんだこの糞ゲー」と即座に思って、投げ捨てた。
投げ捨てはしたが記憶には残っている。

ロボットのパラメータを設定して対戦を行わせるというもの。
youtube.com/watch?v=xz3N-d…

そのゲーム「ブリーダー」。
画面が汚らしいのは当時の自分でも心地よくはなく、
そしてなにより、「動きが遅い」
そのもっさりした動きの「自動バトル」を終わるまで見させられる。
バトル中、何の手もこちらから下すことができない。
もどかしくもあり、それ以上に画面上の変化がつまらない。

最近のソシャゲ・ブラウザゲー・課金ゲームは、このゲーム「ブリーダー」にアイキャンディ(視覚を喜ばせる映像)を付加したものだな、と解釈し、
日本全体を覆う「ガチャ+カード対戦型のゲームシステム」一色な画一的な視座を把握した、
と同時に、
世俗的な視座だがその中に時代精神的真理もある、と

その時代精神的真理とは、
1段落目に戻る。

「先祖が『子孫を残したくない』」とは、どの目線から言われているものか?
というのを理解できてしまったということに繋がる。

我々の人生は、先祖の魂がプレイしている「オートバトル」のゲームの様であり、手出しすることもできず、ただ見ているだけ。

先祖魂プレイヤーごとに、持ってるカードの特性や質が違う。
持ってるカードだけでプレイしなければいけない。
しかも、プレイ中は、見てるだけしかできない。

たまに、SSRカードやURカードを引き当てるわけだ。
そのカードを中心に、「家族」を編成し直す。
しかし、カードを育てる資金がない。

強者を主役に家族が編成され直す過程は、本能や社会心理学的なアプローチからも説明がつく法則と変化がないものと思われる。

算命学で午未天中殺の人達は、家系の最後を務めるという運命であるので、
この人達は少なくともSRカードレベルである(先祖魂が気合い入れてる)と推測できる。

(カードのレアリティのインフレで、SRというのはもはや「ハズレ」にあたる真ん中レベルという実際だが)
(しかし、そんな堅実なところも、午未の家系の最後的な殿(しんがり)ぽさもあるのではないかと思う次第)

戻り、
今回での発見は、
「先祖の目がある」ということ。
むしろそいつがプレー中。

もうひとつの真実、というかここまでの話からわかることは、
沖縄の霊能者ユタは、我々をカードゲームのオートバトルとした時のプレイヤーとなる先祖の声を聞くことができる、というような立ち位置である、ということ。
霊能者本人達が、「何」の声を聞いているのかを理解してるとは思えないけどね。

我々の人生が、「オートバトル」の最中である、
というのは、
決定論的である。

つまり、自由意志は、ない?
と、平たく考える前に、

メタ視点に居る先祖プレイヤーの自由意志はない。これは断言できる。
オートバトル中の我々カードに自由意志はある。が、それも持っている能力の範囲内に限る。

しかし、先祖プレイヤーの自由意志は、
実のところ最初の最初にカードを編成したり、カードを引いているところにおいて、
進めていく方向性、即ち志向性の決定、という点において、自由意志を発揮している。

一旦発動させた志向性(以後、オートバトル)を途中で路線変更できるのか?がメタ界の論点。

この、死後の世界というか先祖プレイヤーの存在しているメタ世界からの現世現実の解釈として、
「母方の先祖は子孫を残したくないと言っている」
は、反出生主義となるのかどうなのか?

俺の語りの視野は、完全に、生きている人間達だけ(社会だけ)を全体と見做す枠組みから外れているので、

ツイッター専ブラtweenの、投稿ツイートの表示反映が遅い。
直前に投稿したものが反映された時点で既に2分の文字が付いている。

話戻すと、

原理や法則や真理追究する上で、
世界・全体と見做す枠が小さいほど、局所的な、もしくは歪な形で纏めざるをえず、真実から遠ざかると思う。

俺は、真実に近づけるために、超現実的な事象も含めた世界観で全体を捉えていく。
現実上に因果の全てはないし、あるとしようとすると歪む。


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