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俺の記録庫

3477考える名無しさん:2018/09/07(金) 03:10:28 ID:biHY16MA0
さもなければどうなるのか。

人類は、差別意識をスタイルとして着替えているだけ、ということになる。
夏色から秋色へ着替える、みたいな「進歩」ではない「環境への適応」。
この場合の環境は時代自体となり、となると時代が主体となり人が環境になる。
秋服の秋らしさは人にはなく季節にある。

環境(時代)主体ではない場合、
賢者が作った「記号と手本・マニュアル」を一般人が取り扱うように、「新しい差別意識」を、その時代の人々が取り扱う。
洗脳というかインプリントされた状態であり、差別意識の、その知識としての意識への懐疑も何もない。
このレベルで生きているのを一般人と呼ぶ。

インストールされた知識を現実と疑わずに生きるのが一般人、と言える。

前には俺は一般人のことをNPCと呼んでいたこともあった。
今では、NPCとは、発達途上の魂または意識である、と考えている。まるで開発されかけの人工知能のような感じで。

現在、人工知能が流行っているけど、このAIブームは人類の"知能的"に大きな進歩なのか?

人間の脳内処理を模倣して応用している段階なので、"知"としての新段階に至っているわけではないと思う。
「人間は」まだギリシア哲学の段階から先へは進んでいない。
人として、思考として、哲学を超えてない。

人工知能研究の成果・実用物として人目をひくものが、「記号化・手本化」された選択肢を人間に与える演算処理である、というあたりが、どの様に一般人に賢者の知をインストールしている段階なのか、が表れていると思う。
AI新技術で便利そうなものは、人に記号的な選択肢を与えるものばかり。


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