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俺の記録庫

3373考える名無しさん:2018/08/27(月) 08:07:00 ID:U2W734DA0
俺もそう思う。
更に俺は、バズってるのをRTしたりいいねしたりしたくない。
そのモブっぽいことをやっている人間達の脳の中身がまったく想像できない。どんな主観性と自意識で生きているのかわからなすぎて怖い。

また、セミフム氏のこのツイートだけ「いいね」などがされていない点に注目した。

バズってるのにリプするのとRTするのは、自意識において違うと思うけど、
(前者は自意識過剰、後者は群衆として薄れた意識持ち)

脳科学者の茂木氏は「スポーツのチームなど、負けてる方を応援したくなる」
その意を深く読み取ると、
勝ち負けはなく、「"空気の流れ"がなぜか無視する対象」を拾う。

状況におけるメタ視点に立てているのならば、その様に「空気の流れ」と一体となって無視してしまう様な過ちは犯さない。
少なくとも、自分だけは見ている、認識していることは確かであるといえる。

モブっぽさと大衆(一般人)(エキストラ)っぽさの区別は、あるにはあるが高い抽象度からは無い。


滑舌になっているが、未だに発熱や痛みは治っていない。

モブや一般人の内面を推測・想像すると、

基本的には「管理者」気取りなのだと思う。

頻繁に思うことだが、学も無く能も無い人達は意外にも「この俺が高評価できる」「この俺が認める」「この俺は(評価対象が)良くやった、と思う」など、自己が採点者になったような立場にいることが多い。

まず、どうやってその採点者の立場を確立したのか?と俺は心の中で問うが、
どうやら、
その控えめな能力の一般人達が「私が認める」と管理者立場からENDORSE(是認)したものが「バズるツイート」「人気ランキングのトップ」という具合だ。

一般人を採点者の高さにまで持ち上げる品が、人気になる。

モブや一般人という性質は、生まれてきてからどの段階で獲得するのか?

生得的(生まれ持った性質)か。
幼少期か。
小中高生の期間で、「社会性」を「処世術」【として】学んだ結果か?


「社会性」を「処世術」【として】学んだ結果というのが一番考えられそうだと思う。

「環境」は相対的である。
これは、「鶏口牛後」ということわざの構造を解説するものでもある。

人は、能力を学ぶのではなく、機能(役割)を学ぶ。
与えられた環境の中で、どの機能に落ち着くのか、という話だ。

鶏口牛後は、頭としての機能を保持することを主張する。
機能は人の社会性に定着する。

一部屋に10人居れば、
十人十色とはならず、グループが分かれ、上下関係が生まれ、主従関係が生まれ、利害・交易関係が生まれる。

人が「生まれ持つ才能」というのは、この「箱」に放り込まれたときに得る「機能」のことと思う。
他者との利害に大きく関係のある自己の利点と欠点。

「他者との利害」と自己の利点と欠点」で項目が重なっているように見えるが、「自己の長所と短所」と「自己と他者の利害関係」は別階層でのことなので、それぞれは個別に存在している。

さて、「一般人として生きることが処世術」な人達は、自分に害が及ぶ対象や事物に手を出さないわけである。


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