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俺の記録庫

3339考える名無しさん:2018/08/20(月) 09:03:24 ID:U2W734DA0
半ばから引用
>「楽器の演奏」が脳に特別な影響を与えていることは理解できましたが、
>「スポーツ」や「絵画」など、他の活動では同じことは起こっていないのでしょうか?
>今日における神経科学者たちの回答は “No”。
>「楽器の演奏」によってのみ得られるものがある
nazology.net/archives/16723

その記事のサイトに、他にも、音楽レッスンを受けた方が知性が上がる、などと書かれたものもあるが、

楽器できる方が頭良いのは前から俺は知っていて、
その先として、
賢い頭で、絵も音楽も思考も、全部を総合的に扱う脳機能的な土台、というものを、俺はずっと追求している。

その追求と分析の中間報告として、

「文化」という形で恒常性を持つ(比較的低めの知的水準のところに重力のある「同好者が集う空間」というのができあがり)、

それは「知的な追求」とは異なる志向性である、ということ。

ダジャレが一般的に好評な現実、というのが良い例と思う。

ダジャレというのは、脳の老化により、音で単語を認識する過程において同音異義語が関連付けられてしまう、というような専門家の意見があったと思うが、

知的には退化しているけれども、退化する自己を受け入れている一般人が、その感覚自体の刺激の快楽に反応してしまう様が、文化として出来上がる。

もっと分かり易い極度な具体例で言うと、

痴呆の老人が、オムツを履いた状態で大便を漏らし、その大便の温もりに快楽を感じてしまい、以後、率先して大便を漏らすようになる

というような傾向。

「知的な追求」からは離れ、「退化したが故に許容できる現象から得られる快楽」に没頭してしまう様。

「一般人」というものをボケ老人と同じ様に見ているわけだが、
ニーチェが「畜群」として一般庶民を批判したのも、
根本的には、その「知的な握力」を緩めてしまうという「意志」(の弱さ。度合いで示す場合)を問題視して、だと思う。

つまり何だ?というと、

楽器始めて知性上げても意味ない。


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