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俺の記録庫
3295
:
考える名無しさん
:2018/08/16(木) 20:42:48 ID:U2W734DA0
茂木氏の言説で個性や人格を表現するときに「スペクトラム」という語がよく使われるが、
この「連続体・分布範囲」を、医学や科学用語としての意味を超えて、記号論的に示し直すと、
「シニフィエ」としての存在(集合体)の中の一個(数ある内の色の1つ)
という風に捉えることが出来ると思う。
記号論の基礎部分を改めて書いておくと、
【木】という存在を示すときに、
「木」という《漢字やシンボル》によって示される《それ》を「シニフィアン」(signifier)と呼び、
《それ》が意味する〔実際に目に映る緑と茶色のそれら〕を「シニフィエ」(siginified)と呼ぶ。
話戻り、
「個々の奏者が頭の中で持つリズムの最小単位のボキャブラリー」は、「シニフィエ」を実際に構成する「ドット」とでも呼ぶべき、その解像度の粒の形状となる。
「シニフィエ」が「優等生な4歳児」で固定されている日本人は、統一規格の解像度でその後の人生、物々を表現し、その挙げ句「シニフィアン」(記号)としての整いと「発する意味」の明確化に進む。
「解像度」から離れ、文字の世界に。
絵や音楽が文字の世界の解像度で停滞しているのが問題。
問題、とはいえ「この瞬間の時代」に自己の意識を閉じ込め、そういう人生を終わらす(普通の現実的な人生を歩む)つもりならば、それは問題とはならない。
流行るがまま、皆が喜ぶがまま、盛況を良しとするまま、栄枯盛衰を謳歌すれば良いと思う。
でも、その個には世界を俯瞰する意識はないと思う。
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