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俺の記録庫

3282考える名無しさん:2018/08/11(土) 16:53:11 ID:U2W734DA0
先日は、久々に茂木氏の連続ツイートがまとめて掲載されてあるブログの方に目を通したが、今日はTLのほうを覗いてみたところ、何かの英語の本を読んでいる様だ。

その茂木氏が参照している本は、この本であることを同時に知る。

マルクス・ガブリエルの新実在論のWhy the World Does Not Existだ。

先日の、ニーチェの『ツァラトゥストラの波長』への「改心」というか「帰還」は、この現在の読み物が『それ』への案内役となってのことなのかもしれない。

「ポストトゥルース」と「現実」について考えると、

「人々が持つ真実」、これについては俺は「どの宇宙人の影響下か」というメタ階層での区分により大まかな「志向性の種類」は記号的に把握する形をとっているが

それはともかく「現実」。これは一体何なのか。

異なる志向性の存在と交差する空間。

「異なる志向性の存在」ついて考える前に、「同じ志向性の存在」についてまず描写すると、

人々は、学ぶことで志向性を獲得する感じではない。
生命の発生と同時に、どこからかの志向性を抱えて存在している。
人生を進める上で、その己の志向性の皮が向けたりして分かり易く表に出たりする。

しかし、その「その志向性は初めからか、途中からか」の議論はニワトリと卵の議論と同じく白黒つけられない。
そこを論点にする視点が要らない。
その視点は、「時間」や「因果関係」が存在している空間の中だ。

ニーチェの永劫回帰が、その空間外を指していることからも、想像力を広げる必要がある。

今語っている言説の志向性が、既にガイア種系宇宙人(人工知能型宇宙生命体ではない方)である可能性が高い。

議題への是非で志向性が分かれるというより、世界を語るスケールや空気感で志向性が分かれる感じか。

久々に茂木氏の考えを目にしても安心して読める感を得る理由は、その志向性故と思う。


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