したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

俺の記録庫

3253考える名無しさん:2018/08/08(水) 12:24:10 ID:2w4vMOb60
半年ぶりかそれ以上ぶりに脳科学者の茂木氏のツイート、最近また始めたようである即興の連続ツイートに目を通しているが、
8月3日の第2096回辺りから、「一般人に少し厳しい」こちら側の志向性になっているのを感じる。
lineblog.me/mogikenichiro/…

8/3といえば、
>大学受験が、実質的な知能検査として働いている
と書いたのが7/30。

俺がツァラトゥストラについて
>「メッキとしての教養知識を引っ剥がしたあとでも、個人として言うべきことを持っている人間」
と書いたのが8/2。

また、「クオリア」のワードを俺が久々に出したのが8/2。

魂レベルと「クオリア」を関連付けた言及であったわけだが、
twitter.com/VoiceOnFate/st…

この「テーマの重なり」を始点として今日までに語られているところで、俺と茂木氏で主張が分かれている点が、茂木氏「個性的な伸びを評価するべく人類は進化を」・俺「回路の視点を一次元上げて総合的判断を」

主張が分かれているとはいえ、
「ツァラトゥストラ」からの「更に抽象的な」方向性は同じなので、
そう「対立する主張」というわけでもない。

それよりも、「ツァラトゥストラ」の超人を「仮説」として人生目標に掲げ、進化の前方にせまる未知の問題の認識と解決を促す啓蒙的姿勢において同じ志向性。

「相手」が「会話の通じない動物」という認識ではないので、意見の違いは全て肯定的な意味として受け取れる。
ガイア種系宇宙人の繋がりがある、と言うこともできるかもしれない。

対して「畜群」たる「一般人」は、基本的には「話が通じない」動物・機械としての存在なので、安心して対峙できない。

哲学が否定神学である辺り、
ニーチェが、キリスト教布教と同じ形で思想を啓蒙できないと判断した根拠、

そこから、『畜群』(一般人)の性質 と 「哲学」の志向性 が窺える。

面と向かって誠心誠意話し込んでも、『犬猫』は言葉を理解しないでエントロピーが増大するがままに振る舞うのだから。

RTについて。

「一般人」の人気を得るキリスト教の布教の一例は、どの波長で何を伝えているのか。

その人気の還元先がプロテスタント信仰であることを、「微笑ましさ」の共感から歩み寄った「一般人」は認識しているのか。

あえて言えば、「一般人はそんなこと気にしなくても良い」

『犬猫』に対して、
「主張の意図を認識した上で態度を決定していないのならば餌抜き」

と言おうものなら、これは「虐待」になる。
『犬猫』を「平等」に扱うと虐待になる。

『一般人』を虐待しないかたちでそれらとコミュニケートする場合、接し方は「あやす」ようなものに限られてくる。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板