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俺の記録庫
3241
:
考える名無しさん
:2018/08/05(日) 10:33:30 ID:LZYQuCo60
多分野を同時に扱う使命感とも言える頑なな自分の意志は、
根が左利きで、限りなく両利きに近い存在である、ということが関係していそうだな
というのを、洗濯物を洗濯ばさみ物干しのやつに挟み付けているときに、右腕ばかり上げて疲れているな、というのに気付いたときに思った。
洗濯機の位置へアクセスしやすいほうの手を使って物干ししているだけなのだが、
何をしているときにどっちの腕を使っているかの自覚が無い。
状況に合わせて、そのシチュエーションで最適な方の手・腕を使う。
これを可能にするには、利き腕などという使い勝手の差を極限まで減らす必要がある。
俺の中では、右手・左手両方共が自在に使える手・腕なので、
時代的に両方使えるのが当たり前、と思いがちだが、
そうではない社会、というのも今一度考える必要がある。
右利きの人は人生早々に左手の使用を補助専用と決め込んでいるかもしれない。
なぜこの社会には1分野だけの偏った専門家が多いのか、という疑問を解き明かす鍵かもしれない。
右利き社会なら、その左肩にくっついた左腕は、一体何なのか。
眼を使う人は耳に無頓着?聴覚の専門家は視覚では音痴なのが普通?
五感は同じ脳で処理されるから、脳に焦点を合わせれば両立可能なはず。
ここまでの例で言えば、右左、視覚聴覚と異なる情報を統合する部分において、それら情報を総合的に判断する機能が、どれだけ強化されているのかという問題と思う。
概念としての話とすれば、より抽象的な情報解析と処理を行い、より下の抽象度の事象の芯となる判断を下す部位。
下手な専門家よりも一般人のほうが総合判断能力は日常的であるかもしれない。
ただ、「対象はどれだけ私を脅かしているか」などの自己の生命保守の本能的判断すらをも「総合判断」に加えてしまう。
分析において自己を相対化できない。
一般人には自己がない、と前に書いたが、分析眼に自己が居る。
判断回路に主観としての自己が宿ると、利己的な判断しかできない。
その利己性は、その一般人の個人的な生存を保障するためのものなので、
必然的に、人類が進化する方向へは一切の肯定的判断は下されない。
その辺のことを自覚していればいいのだが、自覚はしていない。
判断における殉教心がない。
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