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俺の記録庫
3213
:
考える名無しさん
:2018/08/02(木) 14:28:18 ID:LZYQuCo60
ならば、既に「魂レベルがそれなりに高い人」は、どうやって生まれてくるのか?どの様に区別が付くのか?
これの定義はまだ精査中だが、現時点での検討としては、
「『非商業の芸術』において個人として何かしら言うべきこと(ステートメント)を持っている」
これは論理的に打ち出した答え。
ニーチェは「『現代人』から教養を抜き取れば中身がなく、教養を武装の衣にしている『現代人』も気にくわない」ということを書いていたと思う。
教養とは「実利的に役に立たないもの」と見做されるが、
俺は、この教養を「非商業の芸術」と今は言葉を換え、用いている。
つまり、「メッキとしての教養知識を引っ剥がしたあとでも、個人として言うべきことを持っている人間」
は、
必然的に「非商業の芸術」に長け、
言うべきことを持っている理由、訓練も無しで長けている理由は、魂レベルが高いからだ。
というものだ。
魂レベルの低い者、精神の幼い者にとって「魂レベル」の高い低いは無価値であり、興味の範囲外であるので
(なぜなら、この者達は、物質現実上の成功に囚われており、それより広い世界の見方は今世中にはできない仕様なので)、
差別とかではなく、「区別」として見分けて問題ないはずだ。
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