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俺の記録庫
3205
:
考える名無しさん
:2018/08/01(水) 17:53:16 ID:LZYQuCo60
「音の記号」ではなく「音」を作るとき、ミキサーのフェーダー(一番右の赤)は、ここまで持ち上がる。
テープ貼ってあるラインが、通常のネット動画などで十分に大きい音の位置。
音の奥行きを「見る」のだから、小さな音で作ると、米粒に絵を描く状態。
でも一般人は、「音の記号」を音と思ってる。
圧縮画像・圧縮音楽で事足りる、という社会が、音=「音の記号」 を知らずのうちに推し進めている。
「一般人」というのは、そういう「社会」を構成する主要素であるのだから、「一般人が音に理解がない」という言葉は前文を論理的に言い換えただけということになる。
そこを更に逆さにすれば、
もし仮に、一般人が音に理解があるのなら、我々の社会は圧縮音楽で事足りる現状に不服なはずだ。
そういう事実はないので、論理的に単なる「言い換え」ということになる。
「音の記号」とは、
「文字の文章」の音版。
文字は記号であり、人々は、文字の質は無視しながら、記号で構成された文章のほうを目当てとする。
音の質は無視しながら、音の文字で書かれた「音の文章」を読もうとするし、全ての音は「音の文章」の欠片だとまず思い込む。
比喩による状況把握を促すのなら、
ダイヤモンドを並べて「人の顔」をへのへのもへじみたいに作り始めたとき、
もはやそのダイヤモンドにダイヤモンドの価値はなく、「人の顔の欠片」という薄っぺらい情報と主観的価値観しか感じ取られない。
記号として用いられてしまったから。
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