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俺の記録庫
3193
:
考える名無しさん
:2018/07/30(月) 18:57:31 ID:LZYQuCo60
ポストモダンから先の時代に顕著になったこととして、
アートというもの自体も、ポストモダン以降に大衆に浸透したと考えても良いとも考えられる。
その中で核となるのは、
(上手いから・賢いから)できるできない
ではなく
(その着眼点で)するかしないか
による視点競争。
「『そこ』を主題に持ってくれば、そういう『見せ方』ができるよね。そしてそういう『見栄え』は今、新鮮だ」
という評価。
ポストモダン以降のアートが持つ「競争の要素・軸」がこれ。
だから「やった者勝ち」「奇をてらう」ものが増えるし、また、商業分野でも変にそのパラダイムが応用される。
でも、人気ランキングを正解算出装置とする投票者ひとりひとりは、この時代や世界の構造を「理解はしていない」。
そんな危ういものに判決を委ねる、
それで良いとするのは、それが社会実験だから、という理由しかない。
下界の実験を放置する学持ち貴族は、入場制限をする「界」で名誉を与え合う。
社会実験場で個人的社会実験をするには学部で芸大レベルの学歴がほしい、と書いた反面、
芸大出て貴族社会の界に入る方向に進むのは、人間として、とても退屈な生き方と思う。
単なる安定志向であり、天下りを求めて公務員を目指す努力人と頭の中身に差が無い。
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