したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

俺の記録庫

3185考える名無しさん:2018/07/29(日) 03:34:05 ID:LZYQuCo60
しかし、「正解な人格・性格」などないので、

特に、アートで自己表現する人達は、如何に自己の中に燻るドライブを暴走させるか、こそが躍進するための鍵であったりするから、

ろくでなしになることを自制することが良いのか正しいのか、その判断はそう単純にはいかない。

例えば、ガチャであったら、
一度ガチャを引いてはずす。予定通りにいかなかったことに感情が摩擦を起こす。(経済的)計画破綻が己の顔を蒼白させ、(経済的)損失分を取り戻す意志に火が付く。
強い意欲と意志で臨む2度目のガチャ。
しかし、結果は運次第。どこか意志と対象が噛み合ってない。

この「頑張り」(自分のやる気)が等価交換されないどころか、全く無視される「変換」を行う「存在」(ガチャ)について、新たに哲学し、新たな作品のテーマとすることができる。

頑張りを変換しない存在(ガチャ)と抽象化せず、

そのソシャゲでなぜガチャを回したいのか。と、幾分主張の抽象度を下げて世俗的な意識・価値観から考えることもできる。

ガチャが楽しいのか・そのゲームが楽しいのか。

市民権カードと呼ばれる、ガチャで当てないとゲームが苦痛になるものがある。

それよりも更に抽象度を下げ、もはやアートに携わる感じではない頭の人の思考レベルにすると、

「ガチャが存在だ、とかどうでもいい。毎日大変な日常の息抜きでガチャを回してるだけ。」

もはや思想や作品には昇華できない質の動機と思考だが、
この思考の人間こそが、ソシャゲがカモにする層。

「日本人の大多数のパイを得なければ負け」

という経済ゲームに勝つには、このカモ層の人間の思考と「最も仲良く」ならなければいけない。

それって、経済の勝者も、そのカモと同レベルの質の悪い波長で生きている存在ということになる。
主従関係で結ばれている。質としては同じ。

「負けず嫌い」を負かして、勝つためにガチャを回させる。

とかいう心理手法を考えたりする仕事が、低俗ではないと言えるだろうか。
これが立派な仕事であると肯定するには、
・再現性のある集金モデルが作れてるから良い

基本的には、DVをする暴力旦那や洗脳カルトのグルの立ち位置・物の見方。

ソシャゲの「ゲームマスターとプレイヤー」という関係において、「囚人と看守」(スタンフォード監獄実験。本実験は仕込みとの話もある)の実験状態が形成され、市場自体が仕込み無しの主従関係の空間となってしまっている。

ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9…

カトリック教会では、ガチャですった人が懺悔しにくる頻度が上がっているという統計とかないものかね。

経済的損失を、精神的な正常化でチャラにしてしまうのは、社会としては不健全だが、
まずは肉体として正常に機能しなくてはならない人間として、先に心の正常化を行うことは悪くはないこと。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板