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俺の記録庫

3103考える名無しさん:2018/07/04(水) 11:08:26 ID:LZYQuCo60
アーティスト・クリエーターが取り扱うUX(ユーザー体験)。

これが、これからの、というか、本来の俺の持つ質に「加わる説明」となりそうだ。

俺は昔からUIには非常に拘っていて、そしてそもそもUIという具体性よりも、「如何に自分の意識と直接リンクして手足のように動かせるか」という

ああ字数

俺は昔からUIには非常に拘っていて、そしてそもそもUIという具体性よりも、「如何に自分の意識と直接リンクして手足のように動かせるか」という部分への拘りが強く、「物と私」から「物と繋ぐ空間と私」という合間の抽象的な部分を気にかける。
しかし、そこへの取り組みが花開くような市場はなかった

俺は、同時に、
「何か知らないけど、偏差値50的なマジョリティが良いというものがなぜ良いのかわからない。そしてマジョリティも俺が良いというものに全く価値を見出さないようだ」という自分の置かれた位置を自覚する。

「感性」がマジョリティとズレているなら、大衆向け作品は作れない。

大学とかでも、同級生の生徒などには全く興味も持たれないところ、教授とか学部長とかにウケが良い。
理解者が、どうも知的に高い人達の層にあることに気が付く。

しかし、現実問題として、学歴を追求したり研究職を狙うことができない状況・環境に俺があるので、アプローチできる先を失っている。

まあ、悩みは置いておき、折角射止めた「視点としてのUX」をこれから論述する中で固定語句として使用していける土台が築けたので、己の孤独な研究としての探求は、以前と変わらず進めることができる状況だ。

さて、引用内でスティーブ・ジョブズがデザインの定義について語っているわけだが、
デザイン史的に見て、この意見は根拠を持って正しいわけでもないが、間違ってもいない。

この記事著者はジョブズのデザイン全般への言葉をUXへ持ち込んでいる。

画像引用元 前に挙げた記事
uxmilk.jp/70897

UXデザインの、現時点での核は「ユーザーの代弁」であり、それ以外の本物デザインの核心についてはおまけの状態なのだと思う。

ユーザーの代弁である以上、設計に自己のビジョンを入れてはいけない。

それをやるのは、先導型のデザイナーだ。アーティストも兼ね、知識量が半端なく持論を持った人達。

プレゼン・講評で
他「なぜそれを作ったのか?」
自「調査の結果、ユーザーの7割がこの形を求めたから」

ではなく

他「なぜそれを作ったのか?」
自「ビジョンを達成するうえで注目した理論から、この形にする必要がある」

これを比較すると
それぞれ、就くべき職場が違うのが一目瞭然と思う。


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