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俺の記録庫
3075
:
考える名無しさん
:2018/06/29(金) 01:00:37 ID:LZYQuCo60
持病中は都合良く意識を失って休むこともできないので、痛みを感じ続ける以外に何もできない拷問状態が毎分毎秒絶え間なく続くのであり、
そんな苦しむ自己という存在にも、数十年の拷問の結果、飽きてきており、
意識だけを思考活動に飛ばして、肉体は痛み苦しみ続けるという時間の進め方をしており、
概して、人というのは、死に至る苦痛を、人生の中で、どの様な時期に、どれだけの期間、割り当てているのか、というのを必然的に考えるようになり、
多くの健康的な一般人は、本当に死ぬ間際に、全力の苦痛と絶望を割り当てているのだろうと見ている。
使い捨て人材型なのだが社会はその型だけに適合
今元気な人も、今まで病気で苦しんだことがない人も、必ず、数十年以内には、大きな苦痛や絶望を持って死ぬ。
このことは例外なく決定している。
だから、元気な人が、元気な内に、生きることを頑張っている、という人々の無意識を感じ取れる。
人は予め、死に方を無意識に知っていると考えられる。
一個の虫の命の意味は、集合の一部と見做すことで、現代の人類はその価値(の低さ)を理解している。
人類も、虫と大差が無い。
これを否定する人類のエゴはいくらでもそうではない理由を作り上げるが、そのエゴは「個への固執」というベクトルの衝動であると観察できる。
歩留まりの問題。失敗作ではない個体になるかどうか。
歩留まりを率で考えるのならば、失敗作の存在もその種全体という存在に含める必要が出てくる。
痛みや歪みを引き受ける個体があることで、正常動作する個体がより多く存在できる、という構図。
しかし、ここでの正常とは死に間際への苦痛皺寄せ
人の苦痛と絶望は主観なので、誰だどれだけ悲惨であるのか、測りようも比べようもない。
恵まれた人生を送れば、それだけこの世を去ることに未練と恐怖を感じるだろうし、苦痛耐性が無い分、最後の苦しみは壮絶かもしれない。音や光で表現されることが無いというだけで。
現代の社会が死から遠ざかりすぎているのかもしれない。
死が頻発していた時代では、「死なないことが人間として当然」という考えで経済・社会は動いていなかったはず。
「人が死なないように見えている世界」が戦後だけに発生している「まやかし」でないと良いのだが。
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