[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
俺の記録庫
3021
:
考える名無しさん
:2018/06/10(日) 23:25:00 ID:u1Zw.0cg0
例えば、セカイ系の集大成としてもてはやされた「君の名は」での楽曲使用が絡んでいるとして、
「セカイ系の解釈と適用例として優秀である」という評価を、ゼロ年代で止まってる批評家から貰い受けるとする。
作詞&批評家の両方を批判する見地にこちらはいるのだが、≧指摘点書くには文字数足りず
「ピラミッド構造の支配関係の絶対視」をいう点を相対化できていないのが、ゼロ年代に留まった意識でのセカイ系分析だろう。
セカイ系は、進化している。
正しくは、そのセカイ系の空間の定義が、より普遍的な視点と論点から再定義されている。
そしてその進化が発生しているのがスピリチュアル文脈。
進化をしない「ゼロ年代で激写された静止画としてのセカイ系」をセカイ系と呼び続け、それ以外をセカイ系と呼ばないと判断することもできるだろう。
そこで、何を根拠に目的に、セカイ系の定義をそのままの形に留めておきたいのか、という点が判断者の腹の内となる。
俺は、セカイ系で「仄めかされた」世界自体の探求・追求をしているので、スピリチュアルや宇宙人文脈で示される《世界》の定義を考慮に入れる。概念的で抽象的な部分の変化にピントがある。
「君の名は」でセカイ系が終わったとする人達は、もっと具体的で企業・個人により作られた資産を見ている。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板