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俺の記録庫

2992考える名無しさん:2018/06/07(木) 15:35:13 ID:u1Zw.0cg0
世界や一流という言葉を使わずに、小さいスケールで表現してみたい。

クラスのトップを狙わずに、あえて25人中15位くらいの位置で繁栄する「心の持ち方」と人生計画・事業計画の仕方を知りたい。

「クラスのトップを諦める」について悔いが無い・思い残しがない・清々している心の持ち方も。

「上手くないけど好きだからやってる」という状態が、精神的に、どのように成立しているのかを知りたい。

これを実現できる一般人の人達は、とても心が強いのだと、考え直した。

一流とか世界とかが視野にある人の世界の主役は、その人ではなくて「世界という場」である。
だから、その「場」に、自分という無価値な存在を所属させることができるか、を競う。

いつまでも、「場」が在る。自分というものはない。
競争するエリートの心中がこれだろう。

エリート型で生きるには「場」が必要だ。
それが選抜試験を行う機関であったり、勝者を決めるコンテストであったりする。

「何者でも無い自分」を「その場に入れた自分」にするために、彼らは必死に競争する。

この生き方には引力がある。そうあらねばとも思う。
同時に、もうそういう時代ではない。

いや、そういう時代のままなのだけれど、
もはや本格的に、人間として生きる醍醐味から外れて、「場」の意志に従うだけの功労者になる、という位に、逸脱している。

人類社会を俯瞰した視点からの今までの文脈がここで関わるが、
そんな風に生きても、もはや意味がないだろ、という理解がこちらにある

エリートが進む先にある天国は人間一神教の世界であり、あらゆる報酬と福音は、社会・世界を支配・牽引している「自分と同じ人間達」からの承認・賞賛という形で存在する。
現世利益に閉じている。

しかし、我々は現世に生きているわけであり、その現世利益は普遍的に魅力的であるわけだ。
そこで葛藤


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