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俺の記録庫

2910考える名無しさん:2018/05/11(金) 06:55:15 ID:feJh5RWI0
「神の存在を知る必要のない人生」というのがあるような気がする。

輪廻転生を前提としている。
(仮に輪廻転生が無い場合、しかし、それでも別に問題ない)

「やるべきことをやる」人生において、
「人生」というのをスポーツの「試合」に喩えるか。
試合に一生懸命になることが目的の人達がいる。

反差別が盛んなご時世だが、

「試合に一生懸命になる」ことが誰も彼もにとって唯一の目標である

とは限らないんじゃないのか?

というところで、神とか来世とか、目に見えないものが出てくる。
試合に頑張るだけなら、勝手にコツコツ努力やってりゃ人生終われる。それで良い人はそれで良い。

どうやって、自分にとっての人生を確かめるのか?

人生を、どの位置から(カメラで覗くように)臨んだら、本当に「本気」になれるのか。

人間生活に慣れることが目標の人生の魂の人なんかは、「お金が稼げる」なんていう些細な「焦点」で「本気」になれちゃう。なれるならやれば良い。その浅さが己。

古くから市民を統治するための政治的な「宗教」の要素としての神や形而上学的存在
とは異なる段階においての、神や形而上学的存在への関心というものが、あるのだと思う。

ここが分けられていないと、全部、前者の方に帰属させられてしまって、なまじ知識のある人とまともな議論ができなくなる。

後者にとって、神の名など、

何でも良い。

どうでもいい。

人間が作ったおとぎ話に興味があるわけじゃない。
本当に人類を超えた「何か」に興味があるだけなのだから。
(名によって信憑性が上がるなど)人の理解の足しとなる要素の積み重ねで、なぜ「人が理解できないこと」が語られると思うのか?


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