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俺の記録庫

2898考える名無しさん:2018/05/09(水) 09:05:52 ID:feJh5RWI0
去年、茂木氏を絡めた文脈の中で、自己実現と世界創造と2つに分けて色々書いたが、
Raの文脈で言うと、自己実現がnegativeへのdisitortion、世界創造がpositiveへのdistortionな感じか。

今俺はちょっともっと根源的な部分で色々考え悩んでいる。

小学生の頃は執拗に「死んだらどうなるの?」ということを親に聞いていたのを憶えている。
夜寝て、眠れず起きてきて親に聞く、という形だ。

幾つもの哲学的な問いを親に聞いたが、何ひとつ参考になる答えは聞けなかったのを憶えている。

結局、子供の頃からずっと今まで人生を俯瞰しているようだ。

「社会的に成功する意味がない」というひとつの結論も、いわゆる午未天中殺の人達が死ぬ直前に体験する「恵みや幸せは物質的なものではなく目に見えないもの」という辺りと関わりのあるものであり、色即是空 空即是色 を真実としているが故の達観した価値観と言える。

これを先に得てしまっている。

自分が何度も輪廻転生しており、「生きること」への理解を魂レベルで受け継いでいるのだとしたら、この人生は多くを知りすぎた故の「捨て回」に近く、無に帰す夢に向かって頑張っている人類達を冷めた目で退屈に眺めている、という感じになっている。

勿論、この俺の状態は完結ではなく、停滞状態だ。

人生に停滞しているのではなく、輪廻転生の中で、魂の進化において燻っている。

堂々巡りはうんざり、ということは過去に何度も書いているのだが、繰り返す生の中で、人類社会上において、人の力で成せる殆どのことが「経験済み」=堂々巡りと感じているところがある。

こんなレベルまで、自動ディスペル(集団心理や社会的洗脳状態から俺を醒めさせる)が四六時中働いているので、人間生活に「没頭」できない。

離人症とは違うと思うんだよな。
離人症は、自分の肉体をまさにアバターを操るかのような俯瞰視点で手足の感覚を感じるものだよな。


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