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俺の記録庫
2767
:
考える名無しさん
:2018/04/19(木) 09:01:58 ID:rlEOoSEQ0
体調不良からの脱却を目的に、少し考えてみるか。
宇宙人は地球人の意識を自由に操れるとする。
地球人が発生する前から宇宙人が地球環境を管理していた。
このようなとき、地球人が「自分自身」と言えるものはどこにどれだけあるのか。
Wandererのケースを除く。
positiveとnegativeを比較するときに、そのto othersな生き方とto selfな生き方をそれぞれ善と悪と置いたときに、
この善悪どちらでもない「クズみたいな汚らしさ」というものが別にあるように思えてくる。
どっちつかずというか甘えで善悪混濁して利己的になりきれない形で自己中な意志。
この「クズっぽさ」が、恐らくRaに書いてあった「第3密度特有のpositive・negative混乱のずる賢さ」という奴だと思う。
即ち、第3密度という低レベルの波長な「動物的」「本能的」というもの。
人類が生活しているのが第3密度であるので、その第3を「動物」と呼ぶのはどうなのか、は別として。
で、その第3的な動物っぽさを超えるということは、何かしら自分なりのポリシーなり信条に従って、理性的に、というよりは、理論的に行動する、ということになる。
その信条の厳守を自己に促しているものが宇宙人による操作である場合、
地球人が、純粋に地球人単独である、のは動物的な時だけだ。
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