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俺の記録庫
2549
:
考える名無しさん
:2018/03/27(火) 23:12:29 ID:rlEOoSEQ0
前衛的な商業音楽と現代音楽の差を考えている。
前者の方が聞きやすさ・鑑賞としての快楽(要は共感性)を意識しているのはわかる。
ただ、
「楽曲がストリーミングで配信される」という「音楽の聴き方」の底上げ(変化)がこうもなされると、
研究論文的聴かれ方を求める後者の形も変わるのでは?と。
現代音楽の楽曲は、金を払って所有するには手に余り、演奏会の形では、品より会合がメインになるように思う。
そんな現代音楽が現在、最もフィットしているのは、ツイッターなどでの発表という形だろうか。
情報空間上の話題のノードとして存在するという(物質的には)儚い形。
なんというか、音楽と美術を比較したときに、現実上では有形として掴みにくい音楽の方が、情報空間上では、インスタレーションなどの空間を用いた美術よりも先に保存可能になっている、という事実の認識がある。
美術の方は、完全なVR環境が整ったときに情報空間上での保存の試みはなされると思う。
「生ではない」という差はいつまでも付いてくるが、(生のほうが情報量が多いという差は認識されるが)
同時に、「生でしか伝わらない価値」を、「精度+2%」みたいな既存軸上の付加価値としてではなく、具体的に定義できるまでは、情報化を進める今時代では、重要度が落とされる、ことになる気がする。
情報空間上、というのは、40MBなどのデータとして保存できる形、を意味する。
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