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俺の記録庫

2542考える名無しさん:2018/03/26(月) 22:11:17 ID:rlEOoSEQ0
セミフム氏のをRT。

この問題は切実なんだよな、ある特定の人達にとって。

・先人の真似を淡々と行うこと
・(この場合)音楽から切り離して理論だけでわかった気になれること
・好きでもない音楽の良さを文字から学んで納得すること

に魂が己への不誠実さを感じない人は、今回の問題から外れる。

この問題は音楽に限らず、あらゆる取り組み事に発生すると思う。特に学校でやらされる、などの強制力が発生する場合に(その特定の人達の)「やる気をなくす」第一原因になると思うが、今回は音楽についてを例として話を進める。

「印象と構造」という対を俺は度々使うが、
「自分にとって好印象など衝撃・影響力のあるもの以外の構造を記憶に入れること」は退屈だし身にならない。
特に、自ら知ろうともしていない物事の構造を、教えられるがまま本に書かれるがままに身に付けることは、その教科自体に退屈を感じる原因にもなる。

印象が生まれるとき、構造的には聴いていない。
構造を見るとき、印象を感じ取っていない。

普段、自分にとって「これは!?」という印象を与えてくる音楽その曲自体の構造を直接調べてみる、という方法論が、一番己の知に対して不誠実ではない順序ではないかと思う。

構造を調べる、というところで、ほんの触り程度の理論の基本の一部、(どういう単位に分割していくのか、などの構成要素の種類を知るくらい)、を事前に見知っておくだけで十分なのだと思う。

更に具体的にしていくと、何のために理論を知りたいのかを明白にする、ということを考える必要がある。

曲を作るため、と、曲を演奏するため、では(例えば100あるうちの5だけ事前に知っておき、25まで知れたら分析はおしまいとする)としたときの、最初の5、獲得を狙う25の内容物が異なることになると思う。

「印象」と「構造」が記号論みたいな(しかし記号論とは違う)関係にある。

理論を学ぶ前も学んだ後も、出力したいのはその「印象」。
「構造」は、あくまで印象を具体的に作る上での物理法則として知りたいだけ。

あの印象の中身は、この構造だ。
この構造にすると、あの印象になる。という関係。


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