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俺の記録庫

2462考える名無しさん:2018/03/18(日) 20:12:23 ID:rlEOoSEQ0
見方によっては、このような社会問題を「考える」という「報酬のない頭脳労働」を、多くの人達はその面において怠けてやらないで手足を使う労働によって自己生存の正当性を訴える、という形に収まっている。

「この報酬のない頭脳労働」は趣味とさえ認識される。
この歪み、頭脳労働をやる立場とは?

その社会問題を「発見」してしまい、その社会的に未定義な問題が原因で個人的に立ち往生している場合、その個人は自己の人生として、その問題に取り組まないと先に進めない。
ここで、「報酬のない頭脳労働」を買って出る、という立場が生まれる。人類のために。社会のために。自分のために。

こういう「報酬のない頭脳労働」も80:20のパレートの法則で、2割の人間がその類いの問題に携わり、残りの8割は直接的にはその類いの問題・頭脳労働を認識さえしないのだと思う。

公平世界仮説(信念)信者は、パレートの法則において、「何らかの」8割側にいるのだろう。

となると、80:20の80側でありながら公平を唄う公平世界仮説信者達が、その比率において自己矛盾を起こしていることは、論理的に明らかとなる。
その明らかな捻れ部分が「バイアス」として認定されている箇所(骨組み)だろうと思う。


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