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俺の記録庫

2422考える名無しさん:2018/03/16(金) 15:33:11 ID:rlEOoSEQ0
RT先ののRT先に。
先日バズった芸大ブログの人の、
>現役で合格して、早4年
>もう誰も心病んで欲しくないから
>入学生へ

これは、表面上「相手のため」にしてあるけど、「私を見て」なんだよな。

続く
続き
批評の射程は主張なのだから、話者の「言い方」への言及は「人格攻撃」だと東浩紀は言うだろうけど、この部分にこそ、デリダの書き言葉と話し言葉(エクリチュールとパロール)が絡んでくるところだと思うし、レトリックとして「貴方のためと言いながら私を押し売る」心理的歪みが焦点になるはず

で、
自己申告で心病んでいる人が書いた文章なのだから、「貴方のためと言いながら私を押し売る」歪みを抱えていても言動不一致にはならない、という論理性で勝負してきている、とも捉えることができる。
元に、「バズって」大量のRTがされたことが、実際に「大衆に対する効果があった」証明ともなる。

ここに、現実主義的に経済さえ回せればそれで良いのか、という問題がある。
それは例えば花粉症が多くの人の鼻水の経済を好景気にしている。

回転しさえすれば良い。花粉症薬が売れさえすれば大成功、

で良いのかどうか。

多くの人が症状に患わされる状況は「心配になる良くない状況」であるはず。

やった者勝ちで人に迷惑をかけるだけの「中身のない現代アート」作品作者が「多くの人に影響を与えた」部分だけで定量的に高評価を得て良いのか。

一歩進むと『反面教師として多くの人に教訓を与えた』という形での影響としての評価になる。
『これ』は、望んで獲得しにいくべき質なのだろうか。

花粉によってまわる生態系を考えると、そういう形で(ミーム的に)、人と人との間を渡り歩く要素(個人)が存在しているのも「いたって自然、むしろ必然」となる。

人類が影響し合う構造を冷淡に見るのなら、善悪関係なく、他者に影響を与える存在を認めるしかない。

「心の病み」の構造。


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