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俺の記録庫

2385考える名無しさん:2018/03/10(土) 07:33:32 ID:rlEOoSEQ0
RTについて。
RT元への反応の意図は無い。
この写真の画が、現在の思考にヒントを与えたのでRT。

俺は過去の一ヶ月間、手書きのアニメとマンガの業界について調べたり観察したりしていたわけだが、
その文脈と一致するようで別文脈な、「静止画としての感情表現」というものを考えていて、

「静止画内で示される感情表現」として、
国内外問わずアニメーション業界が収束する「(記号化ではなく)誇張することで象徴的に認識される形」というものに、俺は個人的に不快感を持っていて、よりもっと自然な伝達の方法を探していた。

猫は泣かない、笑わない。顔面で表情を示さない。眼球も動かない。
けれども、十分感情は伝わる。

どうやって?

の部分が、そのRT元の写真で明らかになった。

ポーズだけで感情が表現されている。

しかも、アニメ的な誇張表現ではなく、リアルで自然なポーズとして十分大きく表現している。

俺は、キャラ立ちを目的として「性格・人格を体格や顔の作りで示す」アニメ的表現が、胸焼けして好きになれなかった。何十年間もずっとそう。

顔は全員整っていて良いじゃん?

という俺の自然に湧いてくる思いは、「猫の顔は整っているし、顔面がうるさくない」 というのが根元にあるようだ。

なんか、俺がとるべき「描画スタイル」の根本が、ようやく定義できてきた気がする。

何十年間も本気になれなかった。
絵柄を選べ、だとか、その決断してしまうことが人生後悔を決定してしまうこととなるので、その優柔不断を断ち切ることができないでいることが、創造性の発揮よりも困難過ぎた。

「猫を目にすることが心地よい」人が描くべき絵、マンガ絵とはどんななのか。
「猫の皮を被った猿」を描いている人も結構沢山いる。

「猫の皮を被った人」
「人の皮を被った猫」
どちらが本質なのか。

この答えが出た気がする。
猫に大口開けて笑わせる描写する絵とか、ずっと違和感を感じていた。

これはこれで進めるとして、
メタ視点、
しかし、メタではなく、こちらが現実、

美術や音楽としての探求は、俺の心残りの解消という理由で、俺が自己責任で留まっているものであり、
俺が本来やるべきことは、それら分野に留まらないもっと抽象的なことなのではないか、という意識が昔からある。

人間にとって、「猫的表現」を重んじることは、「知的な活動」であり、「人間の本能」からは遠ざかっている。

アニメ絵・萌え絵がハンコ絵でOKな根拠は、猫の顔がポーカーフェイスなところにあると思う。
一方、国民的大人気マンガ等の絵は、顔面の表情が誇張気味で、つまり人類の本能に訴えている。

人体の、本能が揺さぶられる刺激を好むか好まないか。

俺は、好まないんだろうな。
本能に訴えれば「大多数の同意と共感」が確実となる。
しかし、猿っぽい人類の、仕草含めた造形が、あまり個人的に好きじゃない。

快楽原則として考えると、
本能への刺激を快とするか不快とするかの差違となる。


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