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俺の記録庫

2355考える名無しさん:2018/03/07(水) 06:42:51 ID:rlEOoSEQ0
RTについて。
「そこに山があるから登る」に近い、そこに曲があるから読む。

セミフム氏が、サイケ・シューゲイザー系でなければボサノバリズムを好む傾向がある、というのは事前に把握していたのだが、
この曲を聴いて直感的に「ベースがボサノバっぽいか」と思う反面、技術的に見るとそうとも言えず

しかしサビ部分は、むしろサンバの色が強く思える。
曲後半の民族楽器部分でドラムのパターン変えずに三連の塊にしているところから、あえて色んなリズムパターンを重ねて混ぜることを念頭において作曲してあるんだな、
ということが把握できた。
とりあえず、冒頭、歌が入るところでベースが変わる。

パターンの切り替わり目において、別パートでリスナーの耳を引き付けて興味をそちらにずらしている間に、パターンを変更する、という手品のトリックのような心理手法が使われている。

引き付け部分を「目眩まし」と呼ぶと、何が「目眩まし」となるのか。
曲に付加された生活音的な異質な刺激に始まり

別パートが主旋律を奏でるという分かり易い目線ずらし、
それに加えて、一般的に知れ渡っている「よく知られたリズム」「よく知られたメロディ」を使う、行為自体が「目眩まし」として機能する。

ただ、楽曲が手品のような驚かせることを主旨に持っていないので、これはどんなリズムなんだろう、と、

不確定の状態のまま、断定・レッテル貼りを留保し、モヤモヤが残ったままな印象を与える。

意味的にはモヤモヤなのだが、音の物理的な刺激としては「そういう形」としてハッキリしているので、「深く考えずに耳触りだけを楽しむ」という焦点距離においては感覚的に消化でき、スッキリする。


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