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俺の記録庫
2311
:
考える名無しさん
:2018/03/03(土) 02:00:23 ID:VLlIZ.y.0
ずっと考え続けている。
第二章「装飾と変態」
サブタイトル:時間軸を含めた立体空間における、論理を超えた満(みち)の段階
努力とセンスについての考察の延長上としての、「それでも尚、自己自身を批判対象として、自己自身を変革させる方向性」への展開。
「努力は無意味で退屈」というのと「論理は自明」ということを、展開する上でのモチーフとして持っていることを改めて自覚する。
まず、前回の流れをおさらいする形で研ぎ澄ませると、
「努力批判」について長々と思考し記述してきた俺の「行い」自体が、努力信者から見たら「努力」に該当する事実。
俺は、定めた狙いに対して、とても長期的に攻略を進める。
この行為は、端から見ると努力とさえ認識される。しかし俺は、この行為を努力として捉えていない。
努力についても、「狩りの具体的目標なしで行うコツコツ努力は徒労で無意味」と過去に書いている。
努力信者の論破が俺の目標ではなかった。
努力と人に呼ばれるものは、俺にとっては「何」と呼ぶのが適切であるのか。
それを模索した結果、「先行投資」というのが当てはまることを見つけた。
戦力を上げ、弾薬を増やしていく。そんな「準備」と呼べる行為だ。
その現状に対して尚俺は批判する。
「今が満たされていなければ意味がない」
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