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俺の記録庫

2302考える名無しさん:2018/03/01(木) 06:57:25 ID:hWzIBjVE0
センスのない人間に努力をさせるのは無駄。

無駄な努力をさせて、搾取されるしかない立場に追いやる無責任な教育者。

センスが伸びる見込みがないなら努力する必要がない。
そして、センスの有無を生まれ持った才能みたいに見ている人は、「生徒の力を伸ばす教育者の才能」が無い。

「ノーベル賞受賞者を育てる教師が存在しない」という現実の事実が、とても皮肉だ。

教育可能なのは、伸びたところで有象無象の枠から出ないままな伸び値まで。
そこから先は教育不可能。

しかし、教育者は言う「努力しろ」と。

これが「20%の存在」になることを強いている行為、と説いている。

努力教徒が大好きなスポーツ。
オリンピック選手ならば努力するのが当然だから、努力押しつけの肯定が正当化される。

しかしね、芸術をスポーツ化する教育者は害悪だし、努力したところで凡人がオリンピック選手にはなれない。

何やら、既に閉じた論理空間が見て取れる。これは一体何なのか。

「自分が果たせなかった夢を子に託す親」
みたいな感覚で、
未だプレイヤーとしての教育者自身が未練を持ちながら、自身の有様・生き様を、人を教えることにより肯定しようとしている。

この形は、よくない。

未練があるのなら、人に教えずに、自分自身が業界復帰すべき。

「センスと才能が無かったから、生き抜けなかった」

だから、自分より下を教えることで自分が正当化される?

その足りなかったセンスと才能は、努力では手に入らないもの。
にもかかわらず、
教える相手には「努力しろ」、と失敗した自分と同じ姿に育つように仕向けている。

この矛盾がまずい。

矛盾と言うより、これは、ダブルバインド(心理学用語)そのものかもしれない。

親側・教える側が、自身の未練と欠けていた部分について無自覚であるケース。

このようにして、その被害を受ける教え子の数は増えていくが、

そんな事態も含めて、
地球上で解決されなければいけない「カルマ」を強める行為、として、その愚かな教育者の行為は是認される。

事態が深刻になるまで、このカルマの渦は強化されていかなければいけない。


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