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俺の記録庫

2294考える名無しさん:2018/03/01(木) 04:54:53 ID:hWzIBjVE0
「ヘタウマという存在」が示す「この世に本当に存在するもの」の捉え方の違い。

これまでの「努力努力」でどうにかなる部分は「誰でも」伸ばせる技術・腕前の部分であって、
それらは、事の入り口では審査基準になるものの、そこから先では「あって当たり前」。

人はそこを見ずに違うものを見る。

絵の話だが、音楽の話で喩える。

教則本がある。独自の教えが沢山書かれている。しかし、示される使用例・実用例が聞くに堪えない。大丈夫なのか?どんな耳してるんだ?これがお手本なのか?

この本とCDの「音楽」はまるで役に立たないが、「音楽理論」は、役に立つかもしれない。

「センスとは何か」

俺が10年前に思考した結果、その答えとしたのは、「喩えるなら数十本の色鉛筆の中から、何本何色を選ぶのか」ということ。

選択といえる。しかし正解はない。
一択ではない。何択するのかというところまでも、委ねられている。
決断力ではある。が、導かれるものを選ぶのは自分。

商業作品には、概して個性がない。

これは断言できることであり、対価に対する機能性としての衣服と考えるとわかる話だ。
ファッションデザインのショーの様な奇抜な、そんな服着て外歩けないような「センス」の作品は、絵の業界・音楽業界、どちらにもない。

センスが固定される結果、「確かな腕」

人工知能の議論としては、この「業界が求める人材」は、ゆくゆくは人工知能に置き換え可能な質のものだ。
努力で作った確実性。死んだら他の人「交換部品」と取り替え。
「取り替えできること」がそれを商売にできる根拠。
だから、歯車でなければいけないし、歯車は規格通りの形でないといけない。


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